昨日は
「楽しく知る!学ぶ!食べる!
なにわの伝統野菜 第3回」
四天王寺さんから難波八阪神社までのまち歩きでした。
メインは天王寺さんにある 「野沢菜伝来記念碑」と
難波八阪神社にある「難波葱発祥の地の碑」
生産者さんや、「なにわの伝統野菜」復活や普及に尽力された方々に
直接お話を伺うのはとっても貴重な経験でした。
四天王寺中心伽藍の東側にある碑には
「野沢菜原種 旅の原点」
と刻まれています。
宝暦6年(1756)野沢村の健命寺の僧侶が
京都遊学の際に持ち帰った天王寺蕪の種子が、野沢菜の先祖なのだそうです。
高さ約1・8メートル、横約2・4メートルの記念碑には
野沢菜のレリーフと大阪から長野までの伝来のルートが紹介されています。
このルート、何年か前にはみんなで歩かれたそうですよ。
難波八阪神社社務所前、篠山神社向かいにある
「難波葱発祥の地の碑」
代々その種を継承し、守ってこられた生産者の上田隆祥さんが
穏やかに語られる言葉は、心に染み入ります。
今は「なにわ伝統野菜応援団員」とおっしゃっていますが
「なにわ伝統野菜」の生みの親、森下正博先生
ずっと第一線に立って活動を続けらておられる、
天王寺蕪・難波葱の母、難波りんごさん
「なにわの伝統野菜」の復活、普及には
皆さんたくさんのご苦労もあったかと思いますが
そんなことを微塵も感じさせず
とっても明るく、楽し気に活動されているお姿は
何度拝見しても、素晴らしいです。
歴史をひも解くと
明治18年(1885)日本初の私鉄「阪堺電鉄」の難波駅や天下茶屋駅ができた頃は
どこも一面のネギ畑
柔らかく、甘みや香りが強い難波葱は
美味しいんだけれど・・・
葉折れする、流通に不向きということで市場から姿を消したそうです。
すき焼きなどに、今の白ネギ(長ネギ)を使うようになったのは
私が小学校の高学年か中学ごろだと思いますが
そのころは白ネギとか長ネギではなく、東京ねぎと呼んでいました。
この頃から、おうどんや薬味には細い、青ネギ
鍋には太い白ネギを使うようになったように思います。
以前、かの有名な九条ねぎも岩津ねぎも
みな難波葱の子孫やと伺ったこともありますよ。
たくさんの難波葱と
「おつけもの処 高野」さんからは美味しいお漬物を頂きました。
第一回目の講義の時も、たくさんの伝統野菜のお漬物を頂き
美味しくいただきました。
いつもは整体の帰りにライフで難波葱を買って、鴨鍋にしています。
今回頂いた難波葱
昨日はすき焼き、今日はぶりしゃぶですよ。
上田さんに教えていただいた葱スープも、作ってみますね。
9時スタートのまち歩きは
天王寺さんの境内から始まり
なんばパークスにある「難波御蔵 難波新川跡の碑」で終わりましたが
昼食は
大阪木津地方卸市場にある
「湯源卿 太平の湯」
この写真は昨年9月のまち歩きの時のものです。(雨)
昨日は、だれでもセリに参加できる「木津の朝市」があったので
もっともっと賑わっていましたよ。
この辺りも、外国からの観光客が多くなりました。
頂いた昼食は
卸市場の隣のレストランらしく
新鮮なお刺身と、具材を生かしたしっかりした中身の天婦羅でした。
美味しかった~
伝統野菜や環境の活動をしている方にはまち歩きの面白さを
まち歩きが好きな方には、伝統野菜の素晴らしさを
ということで企画されたそうですが
とっても楽しいでしたよ。
ありがとうございました。
この地域は私も好きなので、何度か紹介しています。
いろいろ思い入れがあるので
2022年のものを張り付けておきますね。

