8月20日から、岩国、防府、山口へ行ってきました。ラブラブ

 

2月の梅の季節に防府から下関へのツアーを申し込んでいたのだけれど

都合でキャンセルしてしまいました。

故に、今度こそはととっても楽しみにしていました。ニコニコ

 

 

 

新岩国駅集合12:30なのでコンビニでお昼を調達して おにぎり

 

   

 

 

10時20分発の「さくら」に乗りました。

 

 

久しぶりの旅行です。

ウキウキして、何でも撮りたいわ~カメララブラブ

 


 

 

12時30分に新岩国駅集合

今回のツアーは女性9名の参加で、以前の旅行でご一緒した方もちらほら

最初からリラックスムードです。音符

 

バスで15分ほど、今日のお宿である「岩国国際観光ホテル」に向かいました。

錦帯橋のすぐそばです。

 

 

荷物を預かってもらい、ロビーでガイドさんと合流

岩国のガイドさんお若くっで、シュッとした美人さんですおいで乙女のトキメキおいで

 

ほぼ3時間くらい、一生懸命にガイドをしてくださいました。

まだ2年目と言われていましたが、丁寧でしっかりとしたご案内

上手です!!

うんと素晴らしいガイドさんになられると思います。乙女のトキメキ

 

いろんな地域で、いろんな方のガイドで街歩きをするのって、とっても勉強になりますし

なんか嬉しいのです。ニコニコ

 

 

まずは錦帯橋と、その歴史についての説明を受けた後

さっそく河原に降りました。

 

岩国の城と城下町の間に流れる錦川に架けられたのが、錦帯橋です。

最初は330年位前に架けられましたが、すぐに流されてしまいました。

橋が流されないためには、この石の量や敷き加減も大事なんやそうですよ。

 

山の上には、めざす岩国城がみえます。🏯

 

橋長193.3m 幅5m

5連の木造橋で中央3連がアーチ橋

両端の橋は桁橋構造で反りを持つ橋柱(はしばしら)と呼ばれる。

 

 

橋から振り返ると、まっすぐな道が延びています。

「大明小路」 といって、中級武士の屋敷地だったそうです。

錦帯橋は通勤路ということになりますか

 

 

橋を支える柱は流れの勢いを分散するために角張っていました。

 

 

川上と川下では砂の堆積が違います。

 

 

錦帯橋では5年に一度の健全度調査で

ひとつの橋に岩国高校の生徒130人位が乗って、強度を確認するそうです。

たわみや形状変化の調査のために、彼らが約6トンの「重し」の役目をします。ドキドキ

 

 

美しくって情緒のある橋ですが、頑丈です!!

結構、登りがい、降りがいもありました。笑い泣き

 

 

錦帯橋を作った吉川広嘉

吉川広家の孫

 

錦川には何度も架橋されましたが、ことごとく増水時の水流の激しさで流されてしまいました。

そこで、明の帰化僧「独立」によってもたらされた『西湖遊覧誌』の挿絵に着想を得て

錦川に小島のような橋台を造り、アーチ型の橋を架けたそうです。

 

                   延宝元年(1673)  3か月余りで完成

                   延宝2年(1674)  大洪水で流失

                   延宝3年(1675)  土台や河底に工夫 5か月で完成

                             以後、約300年その威容を誇る。

 

                   昭和25年(1950) 台風により流失

                   昭和26年(1951) 昭和の再建開始

 

                   平成13年(2001) 平成の架け替え工事開始

                             昔ながらの工法で全面改修

                             (3年がかり総事業費約26億円)

 

 

日中友好の懸け橋の碑もありました。

 

 

家老の香川家長屋門、旧目加田家住宅を見学後

 

 

ロープウェイで山上へ

 

 

山上駅にはからくり時計が

「美しき天然」「鵜飼音頭」「童謡メドレー」が15分ごとに流れます。音符

「美しき天然」は岩国出身の田中穂積さん作曲なんだそうです。

 

 

舗装されたゆるやかな道を歩きましたが、昔からの道でも登れるそうです。

気持ちがいいです。乙女のトキメキ

 

 

岩国城の石垣

創建時の天守はこちらにあったそうで、当時の石積み技術のままに修復されています。

 

 

 

空堀があります。

 

 

平野側は切り立った崖になっています。

 

 

岩国城

慶長13年(1608) 毛利元就の孫の吉川広家が築いた山城です。

錦川を天然の外堀にし、街道筋を見渡せる、約200mの城山に位置していました。

            関が原合戦後には、こういった戦を想定した城は珍しいそうです。

                        元和元年(1615) 幕府による一国一城令により破棄されました。

 

昭和37年(1962)   創建当時と同じ桃山南蛮造りの城が鉄筋コンクリートで再建されました。

 

 

お城の中は刀剣やら、全国の城のパネルやらの展示がされていました。

 

 

われらが大阪城もあります。キラキラ

 

 

 

 

階段を上ります。 エッチラオッチラ💦💦💦

 

 

大パノラマです。拍手拍手拍手

 

 

展望台の足元にある図は

寛文8年(1668)に描かれた『岩国領全図』です。

錦帯橋はまだ架けられていませんし、今では海岸部は埋め立てられていますが

錦帯橋付近は、当時からあまり変わっていないそうです。キラキラ

 

 

 

 

 

瀬戸内の島々が望めます。ラブラブ

茶色い土地が見えているのは岩国基地です。

 

 

続きます。

今日もお越し頂いて、有難うございました。お願い