「薩長土連合密議之処」石碑
松陰神社敷地に入ってすぐ左奥にあるのが、明治100年記念の昭和43年(1968)建立の石碑
文久2年(1862)、土佐藩の坂本龍馬が萩の久坂玄瑞を訪ね
薩摩藩の田上藤七とともに日本の将来を語り合った場所だそうです。💪
松下村塾
大きな鳥居をくぐってすぐにあります。
2015年 ユネスコの世界遺産に登録されました。
松下村塾は、もとは吉田松陰の叔父の玉木文之進が開いた私塾(一日目に行きました。)が始まりで
安政4年(1857)に明倫館の塾頭であった松陰が受け継ぎ、一年余りの間ここで主催。
高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、伊藤博文、山形有朋など
幕末維新で活躍した多くの人たちが、ここで学びました。
八畳ほどの講義室には吉田松陰の石膏像と肖像画、机が置いてありました。
お隣の部屋には、門下生の肖像画や写真がありましたよ。
この旅行を通じて、先生もガイドさんたちもごく自然に「松陰先生」と呼ばれるのが
耳にやさしく響き、聞いていて気持ちよかったです。
その横には吉田松陰幽囚ノ旧宅
その後、吉田松陰を御祭神とする松陰神社にお参りしました。
ご神体として松陰が終生愛用した赤間硯と父叔兄宛に書いた文書が
遺言によっておさめられているそうです。
松陰神社の旧社殿を移築し、松陰の塾生・門下生を御祭神として昭和31年(1956)に建立された松門神社
ガイドさんから名前が書かれたプレートを見ながら
松陰の門人52柱と、松陰の遺書「留魂録」を守り後世に伝えた沼崎吉五郎を合祀して53柱が
祀られていると伺いました。
身分を問わず、多くの人が入れ代わり立ち代わり学びに来ていたんですね。📚
歩いて伊藤博文の旧宅と別邸の見学に行きました。
この旧宅は博文が13歳ころから
明治元年(1868)に兵庫県知事に赴任するまでの本拠となった家だそうです。
木造茅葺の小さな家で、初めて来たのに懐かしいような感じがします。
別邸は東京にあった広大なお屋敷から、3棟を移築したものだそうですが
玄関も、部屋もとても立派でした。
この長~い天井板、色も素晴らしかった。
萩市観光協会公式サイトによると
「樹齢約1000年の吉野杉を使った大広間廊下の鏡天井や
離れ座敷の節天井など、非常に意匠に優れています。」とありました。
この別邸は、作りがシンプルで、欄間もすっきりしていて気持ちのいい空間でしたよ。
第二次世界大戦のときに金属供出されたそうで、今は萩焼の銅像になっています。
キュートでかわいい
一日中歩き回ったので、かなり疲れました。
ただ、どのガイドさんも丁寧に、わかりやすく教えてくださるので
聞き入っていました。
充実した街歩きでした。
翌日の仙崎も素晴らしいでした。
金子みすゞさんのお話を中心に案内していただいたのですが
「角の乾物屋の」の場所にあるタバコ屋さんに貼ってあった広告が粋でしたよ。
ふるさと山口に乾杯!
アルコールをこよなく愛した
初代総理大臣 伊藤博文。
唄と酒を愛し、世を楽しんだ
幕末の風雲児、高杉晋作。
高杉先輩!と呼ばれる方がありました。
熱くなります。
今日もお越しいただいてありがとうございました。