萩の街は松本川と橋本川の三角州にあります。
午後の街歩きは、その三角州の突端部分「藍場川地区」から始まりました。
大川(松本川)より水を引いた農業用水路であったものを
延享元年(1744)に川船が通れるように大きく開削した人口の河川で
2.6キロメートルにわたり市内を縫うように流れています。
明和年間(1764~71)藩営の藍玉座が設営され、川が藍色に染まったため
いつの間にか藍場川と呼ばれるようになったといわれているんやそうです。
今はとっても澄んだ水に大きな鯉が泳いでいます。
その上に小さな石橋が架かっていて、ハトバと呼ばれる洗い場があって・・・
昔の城下町の情緒というか、生活感が感じられて素敵
まずは「桂太郎旧宅」
午前中の萩博物館で勉強してきたし
常駐のボランティアガイドさんがとっても丁寧に説明してくださったので
お庭もめぐって、じっくり楽しめました。
縁側の水琴窟も体験させてもらえますよ。
明治維新後、3回にわたって内閣総理大臣を務め、拓殖大学の前身も創設
安倍元首相が出られるまでは、この方が首相を一番永く勤めておられました。
ここでは穏やかに過ごされたんでしょうね。
大きな美しい鯉が街並みに彩を添えます。
次に「湯川家住宅」
こちらにも常駐のガイドさんがおられ丁寧に説明してくださいました。
ここは藩政時代の武家屋敷で、川沿いに長屋門があります。
庭は流水式池泉庭園で、川から水を庭園内の池に引き
池から家の中に作られたハトバや風呂場に引いて家庭用水として使った後
再び川に戻しています。
環境に配慮しているし、何より美しい。
こことっても素敵でした。
洗い場(ハトバ)です。
洗った食器は川の上で乾かし、水は外の川へ流します。
すのこ状の壁で、外からの明かりは取れますが、外からは見えない
お風呂場も同じような作りで、お湯が熱かったらすぐに川の水でぬるめられる
洗濯場もそばにあるし便利にできています。
でも一言多い大阪のおばちゃんは
「冬、寒ないかな~」
次は三角州の北の端
重伝建の「浜崎地区」を訪れました。
「御船倉」も住吉神社も、江戸時代の街並みも、つられてはいった和菓子屋さんも
ガイドさんも・・・楽しかったわ。
おかげさまで、白内障手術の後も順調に回復してきました。
術後の左目で見る世界は、右目で見る世界よりうんと明るいです。
右目はまだ手術が必要なほど悪くはないそうですが・・・
しばらくお休みさせていただいた旅行記、また綴ってみます。
お越しいただいて、ありがとうございました。