私の’22秋コースはまず道頓堀川から

道頓堀というと、戎橋から千日前付近までの繁華街、グリコやかに道楽の看板

くいだおれ人形の街を流れる川

阪神タイガースが優勝したら飛び込む人がいる川 

と認識されている方が多いかもしれませんが・・・

 

全長約2,7kの一級河川

川幅は大黒橋より西側が約50m 東側が約30m

江戸時代から大阪の水上交通、商業、文化の要として重要な働きをしてきた川なんですよ。

今回は、その道頓堀川16の橋を中心に巡りました。


 

 

まず、掘った人から安井道頓・道卜の紀功碑

 

日本橋の北詰

明治の初めごろまで安井家があった場所に建っています。

今は、インバウンド向けのショップが建って狭くなりましたが

 

                             大阪市立中央図書館デジタルアーカイブより

 

 

そしてこの碑は

大正3年(1914) 天皇行幸の際、歴史上大阪に功績のあった11人に従五位が贈られ

大正4年(1915) 道頓の300年忌の大法要が行われて、大阪府知事・大久保利武

          (大久保利通の三男)と沿岸有志によって作られました。

          大阪城の石垣になるべく運ばれてきた残念石 

          もうちょっとで大阪城というときに、安治川に落っこちた石もあったみたい

          裏の顕彰文は西村時彦(天囚) 書は磯野惟秋(秋渚)

          

平成25年(2013) 大阪市は老朽化で崩落の危険があるとの理由で撤去を決めましたが

           地元商店会や町会が保存運動を展開して修復され

平成26年(2014) 道頓の没後400年  修復後の除幕式を行いました。

 

 

 

この川や地域の始まりは

 

慶長17年(1612)安井(成安)道頓・道卜らが

豊臣家の命を受け、私財を投じて東横堀川と

西横堀川をつなぐ梅川(梅津川)を開削し始めたが

道頓は大坂夏の陣で戦死したため

元和元年(1615)安井道卜、平野藤次郎らが完成させた。

堀は道頓の功績をたたえて、初代の大阪城代松平忠明によって「道頓堀」と名付けられ

道卜には沿岸の開発が命じられた。

道卜は願い出た芝居興行を許されたので 

寛永3年(1626) に勘助町(今の南船場)から芝居小屋を移したので

道頓堀は芝居などを中心に歓楽街として発展していった。

元禄時代に入ると浜側に芝居茶屋ができ「いろは47軒の水茶屋」が軒を連ねた。

『摂津名所図会』には官許の「道頓堀五座」(竹本座、中の芝居、角の芝居

豊竹座、竹田の芝居)の櫓を持つ小屋が描かれている。

となっています。

 

                『摂津名所図会』大阪市立中央図書館デジタルアーカイブより、一部改変

 

 

長くなるのでコースの最初と最後だけ書かせてもらいますが

土佐堀川から南へ約3km東横堀川が流れ

西へ曲がって道頓堀川となります。

最初の橋が下大和橋

「こんな橋あったん?」と言われる方もありますが

江戸時代、このあたりには金毘羅参りの舟の発着場があり、近松門左衛門『生玉心中』

の舞台ともなった賑やかな場所だったんですよ。

 

池波正太郎『鬼平犯科帳・兇剣』にも描かれています。

『兇剣』に出ている部分を読んで皆さんに聴いてもらいましたが、このあたりにあった

高津入堀川(飢饉用の幕府の米蔵に米を運ぶために作られた運河)など

まあよく調べておられて、その場を上手に生かされているのに驚きました。📚

 

高津さんのそばで生まれた初代桂春団治の逸話も残ります。

親の厄年に生まれた子はうちで育てたら丈夫に育たんという迷信から

いっぺんどこかに捨てて、拾うてもらうということで下大和橋に捨てられたのですが

拾いに行く前によその人が拾いはったとか、下大和橋と

東横堀川の上大和橋を間違えたとかで大騒動になったそうですよ。びっくり

 

 

相合橋

 

 

食満南北 「盛り場をむかしに戻すはしひとつ」

句碑建立発起人が面白い。拍手拍手拍手

 

木橋がモチーフの太左衛門橋

 

 

コテがならんでる?

 

 

「えべっさん」「大国さん」の参道お願い

 

 

埋め立てられた三つの川跡を探します。

 

 

深里橋、湊町 この辺りも奥が深い!筋肉

話は尽きませんが、とりあえずお手洗い休憩をベル

 

 

幸橋近く、100年以上続くという「寿し寅」

 

 

最後の日吉橋から望む道頓堀川水門

東横堀川水門と連動して大川の水をとりいれて水質浄化を図り

水位を調節して船の往来を可能にしています。

メタリックな近未来的デザインで、大阪ドームなどの景観に調和していますね。

 

 

 

大地震両川口津波記石碑

道頓堀川の西の端というか、木津川に架かる大正橋の東詰北側なのですが

ぜひ、ご紹介したくってコースに入れました。

 

安政元年(1854)の地震と津波の犠牲者の慰霊と後世への戒めを

語り継ぐ目的で翌年作られました。

地震、津波の状況、被害が克明にかかれているだけでなく

この地震の148年前に起きた地震の被害が語り継がれなかったことを教訓に

「刻まれた文字が読みやすいように墨を入れてほしい。」

と結ばれています。

そして今も地域の地蔵盆に合わせて石碑を洗い、刻まれた文字に

墨を入れ続けておられ、その精神は160年以上受け継がれています。

 

 

どの橋にも地域にも興味深い歴史があります!!

「南地大和屋」のあった宗右衛門町

曾我廼家家庭劇から始まる新喜劇の系譜を残す道頓堀

空に浮かぶハラッパを表現した橋、日本初の交流発電所、勧進相撲の始まりから

人気メニューの誕生秘話などなど

たっぷり3時間弱、歩いてしゃべってみんなで愉しみました。ラブラブ🍀ラブラブ

 

ご参加くださった皆さま、お読みいただいた皆様

本当に有難うございました。お願い