今日は朝から氏神さんのとんど祭へ

お正月の飾り物やお札を焼納させていただいた後、午後から四天王寺さんへ行ってきました。

 

今日は本坊 安養院で講演会が行われるのです。

 

西門へ

いつ来ても心が休まります。

 

 

六時堂、石舞台前には結願柱が

 

 

本坊西通用門

 

 

五智光院

ここまでの写真の建造物はすべて重要文化財です。

この横の本坊で講演会があります。

 

 

 

 

第569回 四天王寺仏教文化講演会

 

「四天王寺の四箇院の歴史と古代の疫病」

          和宗総本山四天王寺執事 南谷恵敬先生

 

 

 

 

とっても勉強になりました。

静かで、凛とした空気の中、穏やかなお声で詳しい内容を解り易くお話しくださいました。

本当に申し訳ないようないい時間を過ごさせていただきました。

 

 

 

聖徳太子が四天王寺を建てられた時に、建てられた

四箇院

敬田院(修行をする場、お寺そのもの)

施薬院(薬草を育て施与した薬局のようなところ)

療病院(病気を治すところ)

悲田院(困っている人、孤独な人などを定住させたところ)

 

で、それらが日本の教育、社会福祉の最初の施設と考えられるというのは知っていましたが

 

どうのようにして聖徳太子が作られたと後世に伝わったのか

その実際はどうだったのか

どのようにして継続したのか、途切れたのか・・・

全く知らなかったので・・・講演を聞いて理解できてすっきりしました。

 

平安時代に金堂で発見された『四天王寺縁起(根本本)』にかかれているそうで

置かれていた場所や様子を一つづつお話頂きました。

 

 

四箇院そろった形ではないものの、養老年間には興福寺に建てられ

天平年間には光明皇后によって皇后宮職内に建てられ

鎌倉時代末期には太子を深く信仰した忍性によって建てられたということを知りました。

忍性以降の鎌倉・室町時代の展開が残る確たる資料はなく

徳川幕府によって再建されたものの、公式な記録はないそうです。

ただ『摂津名所図会』には四箇院旧跡やその時代の悲田院が記されており

100年前には聖徳太子千三百年御遠忌の事業として、四天王寺学園につながる学校ができ

病院、社会福祉施設も次々にでき、今につながっているそうです。

 

 

今まで、何回か受講したいと思いながら用事が重なって行けなかったのですが

次回の演題は、「芸能者から見た聖徳太子ーもう一つの聖徳太子信仰」

次回もぜひ参加したいです。

 

誰でも無料で参加できます。

いいお話だったので、ぜひ多くの方々にと思っています。お願い

 

 

うっかり忘れていましたが、昔の疫病のお話もうかがいましたし

大好きなお土産も忘れずに買いましたよ。ニコニコ

 

釣り鐘饅頭                 釣り鐘煎餅もあります。

  

 

 

なんで、いつ釣り鐘饅頭ができたか・・・は次回に

釣り鐘まんじゅう屋さんの外観は昔とちっとも変っていませんが

 

 

包装はぐっとお洒落になりました。

釣り鐘饅頭も個包装になって、日持ちもするようになりましたよ。