私の魂の旅が

癒えない人への紐解きの一つとなります様に。


癒えない



 自分との向き合いの中で、どうしても癒えない…そんな感覚がありました。

 ヒーリング、心理学、メソッド、潜在意識…等、出来る限りではありますが、様々な観点から学び、試みました。確かに一時は、明けて行く様な感じがしました。

けれど
その感覚が続いた事はありませんでした。

 癒しとは、表面的なことでしかないのか…いや、自分はまだ何かが足りないのか?

いや…選ばれた者にしか癒しは訪れないのか?

そもそも
どうして、私は、探求しているのか?

誰に頼まれた訳ではなく
止めてしまえば良いこと。

変わろうとしても変われない自分。
変わったと思ったとしても
変わったフリだったのだと、思い知らされ、苦悩となる。

ならば、止めてしまえ。

けれど
手放したとしても、目を逸したとしても、開き直ったとしても、
結局は、楽にはなれなかったのです。




私は愛されてる存在だと本当に思える?そうなのだと湧き上がる様に実感が伴わないのなら、それはわかったフリ



 心の癒しを求め、ヒーリングや心理学、潜在意識等を探求すると、
全ての悩みは、愛の枯渇から来ると言うことを見聞きすることでしょう。

 スピリチュアルな探求をなさっているのでしたら、きっと、知ってることかと思います。
探求してないと思う方でも、少し考えるか、もしくは、考える間もなく、わかる…と思うかもしれません。

 私も、そうです。自分との向き合いの中で、わかったのです。【私は愛されない存在】だと言うフィルターがあることを。

そして、【私は愛されている存在】と言うことをインプットしようとしました。

けれど
何度自分に言い聞かせても
自分は愛されてる存在と思えたことは、ありませんでした。

理屈はわかってます。一瞬は、そうだよね…と頭ではわかります。
けれど、それが理屈ではなく、
私と一体になり、自然に湧き上がる様に感じることはなかったと言うことです。頭で理解してたフリだったのです。

他にも、
人を愛す
赦す
全てを受け入れる
ありのままでいい…

それら全て、口先だけなのだと、
自分でわかるのは、とっさの時です。

そもそも
愛って何なのかを理屈じゃなく知らないのに、愛があるフリをしてしまう。優しいフリをしてしまう。

愛は理屈じゃない…?

フリだって、優しければ良いのではないか?と思った時があります。

けれど、それを通して行く事が出来ない自分と、幾度も、嫌と言うほどに、遭遇しました。

 その度にそれでいい。それが、ありのままなのだから…なんて一時の凌ぎにもなりませんでした。それでいいと、頑なに思い通すことなんて出来ない自分は、いったい…誰から愛される存在なのだと言うのでしょうか?

 両親からの愛を求めていたのだと言うことに気づくことは、癒しへ向う切り口かと思います。

愛されていない…と自分の中に創ってしまった事が、苦痛の始まりだったのだと言うことは、理屈の上でも、何となくでも、そうなのかと思いましたし、本当は愛されていたのだと言うことに目を向ける為に、赦して行くことも大切だと、それは今でも思ってます。けれど、本当は赦したくないのだと言うことに、気づかないフリをして来たかと思います。

1ミリも、赦せないものが無いのかは、怖くても本当は、わかってました。だから、余計に苦しい。

愛するふり
赦したふり…な私でした。


to be continued