「ちびまる子ちゃん」との出会いは、小学生だった姉が購読していた「りぼん」でした。
86年に掲載された連載第一話を本誌で読んだ記憶があるのですが、
当時私は保育園の年長さんで
ちょうど漫画の読み方というものを覚えたての頃です。
ストーリー漫画は展開がシリアス寄りだと理解出来ず、
ショートギャグや4コマを楽しんでいた自分にとって
「ちびまる子ちゃん」と「お父さんは心配症」と「ブギウギようち園」が
幼い自分もげらげら笑って読める愛読連載となりました。
まる子は母も楽しみにしており、単行本も母が自ら買ってくれました。
(パピィもキャラとしてはお気に入りだったものの、
血まみれの内容はお気に召さなかった我が母w)
やがて小学校に上がり姉と交代で「りぼん」を買うようになり、
小三ぐらいからは自分一人で購入するように。
その間ずっとまる子は母も姉も自分も、
家族全員で楽しんでいた作品の一つでした。
アニメ化が決まった時は本当に驚きと喜びが入り混じり、
奇声を上げながら家族に報告した事を昨日のように思い出します。
90年からアニメ放映がスタートすると、
最初の数話こそ「まる子はこんな声じゃない」だの「絵がヘン」だの、
「何で頬っぺたが赤いんだよ!」「原作とここが違う!!」だのと
文句を付けまくっていたものの徐々に慣れ、
すっかりハマって毎週テレビにかじりついて視聴するように。
そしてあれよあれよという間に
日本中がちびまる子ブームに沸きあがりました。
今まで家族とりぼんっ子の友達以外には通じなかったまる子という作品が
テレビの中の芸能人にまで知れ渡る存在になり、
ED曲「おどるポンポコリン」はミリオンセラーの大ヒット。
自分の中のちびまる子熱もそんな世間と呼応するように益々増大しました。
その頃地元に出来たばかりのアニメイトで
初めてまる子グッズを買った時の嬉しさを今でも鮮明に覚えています。
このカンペンと定規と下敷きでした。
それからグッズはあらゆるジャンルの会社から量産され、
とても集めきれない中から文具やらお菓子やらを
少ないお小遣いやお年玉からせっせと集める日々が始まります。
それらの宝物は今でも実家に眠り、幾つかはこのブログでも紹介済です。
今回はそんな中でも過去に処分してしまい、
写真だけを残しておいた物を載せていきます。
なにぶん古い携帯で撮ったものゆえ、
大きさや鮮明さにバラつきがありますがお許しを。
お馴染み、ショウワノート製のノート。
この「自分の部屋が欲しくなる」の扉絵はよくこの会社の製品に使われてましたね。
中身は普通の単色ノートです。
これらもショウワノート製ノートかな?
下のピンク表紙のは中身もカラーでした。
この2冊は当時姉が所持していたのが羨ましすぎてゴネまくり、
後に両方とも使ったページを破って譲り受けた思い出の品です。
表紙に「バカ」って書かなくて良かったよ(゚∀゚)
生まれて初めて自分で買ったカセット、「おどるポンポコリン」。
二段ベッドの上で、姉のお古のラジカセで聴き狂ってたなぁ。
B面の「ゆめいっぱい」レゲエバージョンは小学生には高等アレンジすぎましたがw
姉に「ダビングさせて!」って頼まれたのも誇らしかった記憶。
最後に手袋。
二十歳過ぎてもこんな物までとってあった自分が偉い。
本当に90~91年頃の自分は、世界中のちびまる子グッズを片っ端から手に入れるのが夢でした。
今でもオークション等で見るとあの頃の願望がむずむずします。
最近は流石に自制してたんですが、ねえ・・・。
突然の訃報を知った時の気持ちは、とにかく驚きしかありませんでした。
正直90年代半ば頃からの作品に関してはアンチになり下がっていたので、
自分なんかが悲しんでいいのかどうかも分からなかった。
けれど「ちびまる子ちゃん」を始め
84~92年頃までのエッセイや漫画作品は、
確実に自分という人間の濃い血肉となり
人格形成に多大なる影響を与えて頂けた大切な大切なものたちです。
ブームの頃にまる子と同じ年頃だった私は、
同じ3年4組だった事がとても嬉しかった。
家族や友達とアニメ・漫画の感想を爆笑しながら語り合ったり、
グッズや玩具を沢山集めたり、生まれて初めてファンレターを送ったり。
本当にあの頃の生活の全てでした。
そして大人になった今もあの頃のまる子が好きな方々と
こうしてネットで語り合ったり、自分のコレクションを共有出来る喜び。
本当に素晴らしい作品を、思い出を、沢山沢山いただきました。
さくらももこ先生、ありがとうございました。
ご冥福をお祈り致します。