神々は存在するのか?
私は、神々と発言する事がしばしばある。それは、自国、他国を問わず、色々な神様が存在しているからで、また、カレンダー自体、わずかながらでも、神々の恩恵を得られるよう設計されているからです。
私は、神々はそこまで強い力をもっていないと思っています。神々がもっている力は、愛や希望、そして命を育む力のみで、科学技術や文明は人の方がはるかに多くの力をもっていると確信しています。
神々を敬うと共に、神々を守護しなければならないのが人間としての役目でもあります。
神々に守護されつつ、神々を守護しなければならない存在でもあります。
その中で日本は、大きな滅びの門を2017年、日本人の手により開けられ、キリストの洗礼を受けている私に全ての罪をなすりつけ、私は冒涜しつづけられています。
キリストの言葉には、滅びというものが存在し、靈の死というものも存在します。そう、キリストから日本人、一人一人に課せられている福音は、滅びの福音からただ一つ
マタイによる福音書7:13.14
狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
私、ではなく、日本人、1人1人に課せられた滅びからの福音はこの一択なのでしょう。
そう、1人1人が自立し、それぞれの狭き門、命の門を各々が見出さなければならないのです。その道のりは遥か遠く、選択し続けてなければなりません。そこから逃げて滅びからの再生はありえないのです。それだけは確信をもって言えます。
私は、幼き時に、1人の男性に救われました。その人は、戦後、広島の地で、皮膚の皮がズルむけた人の救済をしていました。その人はキリシタンでもあり、その人の手で育てられました。私は今一度確信をもっていいきりましょう。
日本人一人一人に課せられた福音はただ一つ
人1人が、自分の命の門を見つける為に、日々の選択を行いつづける必要があり、命の門を各々が見つけなければいけません。私にできることは、何一つないのです。

