タントラあるある | シベンの体感型ワークショップ

シベンの体感型ワークショップ

自身が長年取り組んで来ているタントラ・感情解放・瞑想を中心に語って行きます。

先日の「前橋de瞑想会」の後、お昼ご飯を食べている時に、サイレントエゴ(シベンが作った造語※瞑想をし始めると、瞑想者の振りをしはじめて、静かなフリをしたがる)についての話が出たので、ここではタントラ(瞑想)あるあるを話したい。

タントラをやり始めると、何とも言えない素晴らしい感覚を味わう(その感覚は千差万別)それは性が=生が解放されて、とても嬉しい気分になる→今までのタガが外れて、とりあえず男女共にビッチになって調子ずく(人それぞれ、そうでもない人もいるだろう)その後散々やらかす(ここも人それぞれだが)

そして

ある日を境にサイレントエゴに入り出す(ここもあえて人それぞれだと言っておこう)

ここから長い…ズッと長年そのままの人も見かけられる。

静かなふり

瞑想者のふり

そこに入る原因の一つとして、タントラによって、ビッチになり、色々とやらかすと、先ずは周りのタントラフレンズから噂になり、それが伝播して、各方面(瞑想グループ)の人達からも、色眼鏡で見られだし、それを耳や肌で感じて、傷付き、怖気出す。

或いは

タントラ(瞑想)の場において、自ら瞑想者としての形をとる、又は、後輩達から先輩として、羨望の目で見られて(勘違いか?!)、そう言う扱いを受け、その後サイレントエゴに突入。

これは僕自身も散々経験して来た事だし、正直、時折り、いまだに顔を出す。

人は、一旦、高い木に登ったら、そこから自分では降りる事は中々難しいし、気づき難い。

だから

エゴはエゴで居続ける事が可能となる。

幸か不幸か、僕の中の、そのサイレントエゴは、一旦、イタリアのタントラライフのラダによって、壊され、気付かせてもらった時があった。

それはグループに入っていて、自ら気付くと言う様なものではなく、意図して作られた場だったので、恥ずかしいやら、憎らしいやらで、穴があったら入りたい気分だった。

しかし

今では、その事に対して、彼女には感謝の念しかない。

そして

最近では、ある女性からこう言われた

「シベンの、そのふざけた感じを演じているのは、カッコ付けてる人達より、複雑で、タチが悪い」

確かに…

そして

ありがたい🙏

最近、自分でもその様な感覚は増して来ていたが。

その人が「タチが悪い」と言ったかどうかは、今となっては定かでは無いが(まぁ、その人は絶対に言ってはいないだろう)、自分自身をそういう風に自虐しているw


怖気づかず、演じず


中庸に生きたいものである。

俺、今日も瞑想を続けましょう!

※ここに書き記した事は、もちろんですが、全てシベンの主観に基づいているものです🙏