自由の空気のなかで生きた愛は、自然に、楽に、努力もなく、あなたをセックスから超越させる。愛は残り、セックスは去り、愛には独自の純粋さと美と神聖さがある。
Osho
現代を生きる私達にとって、セックスは特別なものとして扱われている
それは
◎一般的な暮らしの中において👇
特別なイヤらしいもの
◎昨今のスピリチュアル界において👇
特別な素晴らしいもの
実際に、僕がタントラを生きて来て思うのは、そのどちらでもなく、セックスは、ごくごくナチュラルで、特別な何かではなく、私達の生活の中の一部に過ぎないと言うこと
だが
セックスは
その関わり合いの中で、そこをくぐり抜け、ハートの道へと変わって行き、やがて愛へとたどり着くことが可能となる
あえて
“特別”と言う言葉を使うなら
“そこ”が特別であって
単に”セックスはイヤらしいもの”と言う定義においては、さほどの複雑さは感じないが
セックスは”特別な素晴らしいもの”と言う定義に当てはめたり、はまり込むと、そこには、いつでもビジネス臭と、アイデンティティへの執着と言う、計算された、複雑な何かを感じざる得ない
そうするとセックスも単なる何かの道具と化して、結局は、そこに留まり続ける結果となる
川の流れは留まると、そこには必ず濁りが生まれ、やがて汚臭が漂いはじめる