精神科病院で緊急入院を要する病状として、精神運動興奮がある。例えば、幻覚妄想状態で、被害妄想~恐怖感で不穏になり、病院へ連れてこられるが、さらに混乱し興奮して暴れる場合。こういう場合にどう対応するか?

 

 興奮状態では、ほとんど話もできないし、対応を間違えると、誰かがケガをしかねない(スタッフ、医師、家族、そして本人も)。だから速やかに安全な方法で入院をしてもらうことになる。ただそういう時でも、少しでも患者さんに語りかけるよう努めるのが精神科医のしての在り方、と昔に先輩から教わった。

 

 精神科医になりたての頃、救急で若い男性患者さんが来院した。げっそりと痩せ疲労感が漂うと共に、焦燥しつつ混乱し、自制が効かないという状態。また足は裸足で汚れており、片足に外傷もあった。これは大変、と抗精神病薬の注射をしたら、少し落ち着いたので、先輩と一緒に話を聞いてみた。

 

 国立大学卒業後、有名自動車会社で技師として働いていたが、理不尽なやり方で首にされた。仕方ないので、無断で仕事を辞め、ふらっと他府県に行き、そこで知り合った人に紹介され土木作業員として働き始めた。そこでは、朝5時から夜8時まで連日肉体労働していたという。しかし、宿舎の家賃と提供される食事の代金を天引きされるため、給料はわずかにしかならなかった。3か月程働いていたが、体力的にへとへとになった上、ほとんどの同僚からもバカにされ、怖くなり、こんな所には居られない、と逃げることにした。実家に帰ろうとしたが、その途中で、コンクリートか何かにぶつかって(?)片足を受傷したのだそうだ。

 

 その後については、家族によると、家にたどり着いたものの「勝手に仕事辞めて何をしていたんだ!」と父親に怒鳴られた。それで家を飛び出したが、足のケガのせいであまり動けないところ、追いついた母親が救急車を呼び、自分の病院に来たということだった。

 

 本人の話は被害妄想と考えられ、国立大学出の技師が、いきなり土木作業員をする、というのも不思議な話。さらに「職場の親方が“念“を送ってケガをさせた」「立ち寄ったコンビニで変な目でみられた」「家族ですら自分に・・」など、途中からはいらだちを強めて、しばしば大声となった。

 

 先輩はそれでも丁寧な言葉で、入院の必要性について繰り返し説明していたが、聞く耳をもってくれない。トータルで30分程度(もっと短かったかもしれないが、そのくらい長く感じた)説得したが、彼の理解は得られず不穏状態は続いた。その間は、いつか興奮して暴れるかも、という緊迫感が続き、応援の男性スタッフも一緒にじっと見守っていた。結局説得は受け入れられず、家族に病状を説明した上で医療保護入院となった。ただその後は、しぶしぶとだが、先輩と男性看護師に支えられながら、暴れることなく保護室に入ってくれた。

 

 つづく