永久革命者の悲哀(2)・武田泰淳 | 狼の遠吠え

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埴谷雄高はあるインタビューで、「生まれてよかったと思えたことは?」という質問にこう答えている

武田泰淳に会えたこと。これは奇蹟だ

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ある作家の作品をくりかえし読みたくなる――俺にとって、武田泰淳はそういう麻薬的な作用をもたらす作家だ。
『森と湖のまつり』という長編を読んだのが二十歳の時。最初はなにげな接触でしかなく、格別深い感銘を受けたわけでもない。
こんな厚い小説よく読んだな、と我ながら感心した程度のものだった。
それが埴谷雄高にまつわる一群の「戦後文学者」達を知り、その一人としての武田泰淳の小説世界――時間と空間と世界、そこにうごめく生の混沌をまるごと掴みだそうとする――に触れるにつれて、次第に巨人的存在になって行った。

俺はひそかに、彼は日本文学におけるドストエフスキーの位置を占めるものだとさえ思っている。

この国の敗戦が生み出した「戦後派」と呼ばれる作家・文学者は、そのほとんどが鬼籍に入り、忘れられて久しい。今も読まれているのは三島由紀夫と太宰治くらいなものか…
武田泰淳も半ばは忘れられた人だ。
文学好きに聞いたとして、名前を知っている者すらどれくらいいるか。図書館の作家論の棚に彼についての本を見かけることも稀だ(三島や太宰や漱石、賢治はわんさかあっても!)。

…それでもあえて言う。
先の埴谷雄高に倣うなら、「この国の文学が武田泰淳を持ったこと。これは奇蹟だ」と。