鳥山明先生の右端の文章が興味深い
「それではドラゴンボールのコミックス
(たぶんでると思いますけど)
で、おあいしましょう」
その後、このドラゴンボールで世界に衝撃を与え、今日、までに世界中の人達に愛され読まれる作品となった
もはやスーパーサイヤ人孫悟空の戦闘力を上回る発行部数、知名度、人口だろうね
「たぶんでると思いますけど」
ってやっぱりDr.スランプを描いていた人気作家でも、長く続かないことや「打ち切り」とか当時、考えていたのかな、、
そんな事を思うと面白い
これがしかも、あのドラゴンボールという、、ね!
話は少しズレるかもしれないけど
最近
国民的番組「笑っていいとも」が終了した
わりと見れる環境だったし、俺ももちろん日本人だし、もう昼時にあの感じが無い事はやっぱり寂しい
これが、ドラゴンボールの連載終了した時の感覚と似ていてそれを思い出したのよね
当時、翌週のジャンプから
「ああ、もう見れないんだ、、」
なんて寂しさがあったのは忘れられない
当たり前にあったと思う「モノ」が終わる
終わる時に実感する
何処か亡くなって評価が広がるロックスターの死の様だが
無くなるまでの、、
人間その
「あたりまえ」に成っているまでが本当難しい
ロックスターやいいともやドラゴンボールといったダイナミックな例を挙げたが
どんな小さな、身近な事でもそうなんだよね
習慣や、仕事や、人間関係、恋人、夫婦や家族だってそうなんだ
当たり前までは険しく
「当たり前」って言葉が似合わないくらい
難しい
色んな道のり、やり方、価値観があるから
当たり前になっていること良し悪し関係なく誰もが気付かん内に成している様で、また成そうとすれば成らない
だから
多くの人達に評価されたり認められた
「当たり前」は、
「当たり前」と考えられてる目線よりずーっと深いところに根付いている
「当たり前」は深い

