29日は父の月命日。

いろいろあったから 文字に残しておきたくなった。

いつか私も忘れてしまうかもしれないし。

長いから何回かに分けようかな。



私の父は16年前の朝仕事へ行ってその帰り道 交通事故にあい その日のうちに亡くなりました。


寡黙な父とは「会話」をしたことがありませんでした。

ご飯だよと声をかけると「ん」

お風呂空いてるよ「ん」

ケーキ食べる?「ああ」

返事はしてもらっていたけど会話にはならない。

私自身 何かを話したいとか 会話しようとも思ったこともなくて…

何十年も同じ家に住んでいたのに全く話しをしないまま時が過ぎてしまいました。


あの日 会社にいたら「お父さんが事故にあったらしくて病院にきてくれと○○病院から電話がきた」と母から電話がきて、足でも折れたのかな?と軽い気持ちで病院へ向かった。

待合室にはすでに姉夫婦が到着していて姉は目に涙を溜めていた。

「今日 明日がやまだって…」

「会わせたい人がいたら会わせてあげてくださいって…」


???


父は自転車に乗って青信号の横断歩道を渡っていたら右折車にぶつけられ転倒。

急性硬膜下血腫で手の施しようがなかったようです。

事故を起こした運転手は65~70代前半?くらいの男性でした。


対応した私に「保険はたくさんかけてますから!保険はたくさんかけてますから!」と何度も繰り返し言いました。

ちがうよね?

言葉がちがうよね?

何度も思いました。


警察官にいろいろ聞かれたりバタバタとした時間が過ぎ、いつの間にか運転手はいなくなっていました。


病室に入るといろいろな機械に繋がれた父は静かにベッドの上にいました。

ちょっと安心しちゃった私達。

まだ生きていてくれるよね?と。


病室には母と姉と私が残ることになり 夕飯を食べていなかった為 私が近くのコンビニでおにぎりを買ってくることに。

病室へ帰ると3人でおにぎりを食べ始めました。

こんな時にでも食べれられるもんなんだな…なんて思いつつ。

なんて呑気な私達。


そこへ看護婦さんが来て父の様子を確認。

「あっ…呼吸が止まってる…」

え???

おにぎり食べてる場合じゃなかったのにね。


それから先生も父を確認

私達に時間を告げました。


まるでドラマみたいだな…と第三者のような感じで見ていました。