ホーム開幕戦前日。
今日は、ニューウェーブ北九州を応援するにいたった
理由を自己紹介と共に長々と話してみます。
(以下、何故か「だ」、「である調」の文章)
故郷は山口県下関市。ここで12年過ごした。
13歳からは東京のはずれ所沢スタジアムのそば~
大阪~三重~名古屋~岐阜~千葉~東京といった
流れ者人生。
行くところ行くところがプロスポーツのフランチャイズ。
しかし引越しのペースが早く、
まったく「地元感」を味わえなかった。
地元球団を心から応援できる
西武ファン、阪神ファン、中日ファンがうらやましかった。
10数年前、この流浪生活をやめて、
実家の近くで働こうかと考えた。
妻も賛成してくれた。
幸い北九州の企業に転職することができ、
門司で暮らし始め今もこの街でくらしている。
北九州は「地元」になった。
今、小学生時代以来の地元感を味わっている。
しかし、この街には、かつて自分が暮らしていた街に
必ずといっていいほど存在した「プロスポーツチーム」はない。
(もちろん、最近まで特に意識していなかったことだが)
昨年春、会社の先輩に誘われて北九州市長杯
NW北九州対アビスパ福岡戦を観戦した。
同行した息子はアビスパ目当て。
お年玉の残りでアビスパのミニボールを買っていたほどだ。
試合が始まった。すると息子の目の色が変わった。
北九州の背番号10番がアビスパの左サイドを切り裂く。
「あの10番スゴイ」
息子の目は憧れのJリーガーではなく、
地元北九州の背番号10森本に釘付け。
07九州リーグ地元開幕戦 本城でのOSUMI-NIFS戦も
息子と2人で観に行った。
前半、左サイド森本のセンタリングを
元Jリーガー水越選手が決め先制。
続いて森本が豪快なヘッドで得点。
さらに水越がダメ押しの3点目を決めた。
しかし後半、OSUMIの攻勢に遭い2失点。
辛くも逃げ切ったが、長いシーズンを思うと
不安の残る内容だった。
コアサポーターからは
「6-0で勝てる相手やろ!」
「納得しとらんぞ!」
「北九州には先があるんやろうが!
JFLに行くんやろうが! Jに行くんやろうが!」
という悲痛な叫び声。
サポーターが叫ぶのも無理はなかった。
すでに前節、開幕2試合目の段階で
三菱重工長崎に黒星を喫していたのだ。
このままじゃ、やばい。これは絶対に応援せねば!と本気で思った。
家路に着くあいだ、
「北九州には先があるんやろうが!
JFLに行くんやろうが!Jに行くんやろうが!」
団長の言葉がずっと耳に残っていた。
北九州からJをめざすクラブと
それを全身で応援し共にJをめざすサポーターの
存在を初めて実感した一日。
自分も一緒に応援したいと思った一日。
自分が本気で応援したいと思う
スポーツチームに出会えた一日。
それが2007年4月8日 の九州リーグ開幕戦。
あれから約1年、明日3月20日は私にとって2度目のホーム開幕戦。
カテゴリーはあの日、団長が叫んでいた「JFL」の舞台だ。
「俺のニューウェーブ北九州」。
その勝利のために
明日は全身全霊、力の限り声を出し、選手たちをサポートする。
(長文、駄文にて失礼しました)