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大江戸八百八町。

その東に位置する根岸は小高い丘から広い江戸の町を見下ろす場所にある。

その根岸に住む甚平は昔気質の足袋職人で、貧乏ながらも真っ当正直が取り柄の頑固親爺である。

そんな甚平が老いらくの恋をした。

相手はとても叶う相手では無い。

大店の看板娘で年はまだ19。

甚平とは親と子ほどの年の差がある。

勿論それは甚平だとて承知のこと。

ただ、遠くから眺めているだけで充分と諦めの境地である。

しかし、世の中分からぬもので、その甚平を看板娘が見初めてしまった。

貧乏職人で親子ほど年の離れた相手を大店の主人が娘の相手に認めるわけもなく、あの手この手で娘への見合い話を掻き集めては娘に見合いをさせた。

見合い相手はそれはもう、アチコチの大店の跡取りや、大店の番頭で婿入りして後を継ぐ事が出来るような相手ばかり。

とても甚平など太刀打ちできるはずもない。

失意の中で甚平は毎晩夢を見るようになった。

夢の中では看板娘は甚平の嫁子で仲睦まじく幸せに暮らしていた。

そんな暮らしが半年ほど続いた。

しかし現実の世では、看板娘が頑として見合い話に首を縦に振らない事に業を煮やした大店の主人が看板娘を座敷牢に入れてしまった。

それを知った甚平は我が身の罪深さを嘆き、とうとう首を括って死んでしまった。

そしてその事を伝え聞いた看板娘も世を儚んで座敷牢で自害してしまった。

看板娘の死を嘆き悲しんだ大店の主人もある晩、店の鴨居に紐を掛けて首を括ってしまった。

大店は身代を継ぐものが居なくなり、しばらくは番頭が切り盛りしていたが、人の噂に戸は立てられぬ。

あっという間に悪い噂が広まり、大店も潰れてしまった。

その日から根岸の一帯で奇妙な夢を見るものが後を経たなくなった。

その夢とは・・・・

甚平が枕元にただ座っている。

足元には看板娘が座っている。

勿論町の人々には、甚平や看板娘の顔は分からない。

だが何故か皆がその2人が甚平と看板娘だとわかると言うのだ。

何か言うわけでもなくただ座っている2人の夢を見続け始めた町の人々は、もちろんそれが甚平と看板娘の祟りだと云う噂を流し始めた。

しかし、既に甚平も、看板娘も、主人も、店さえも無くなっている今、町の人々にはそれをどう解決すれば良いのかが全く見当もつかない。

そういう時にある旅人が根岸の宿屋で同じ夢を見た。

旅人は町の人々が誰もしなかった事をした。

2人に話しかけたのだ。

「おやおや、貴方が噂の甚平さんかい?」

甚平が答えた。

「へい、そうでやす。」

旅人は看板娘にも問いかけた。

「おやおや、貴方が噂の看板娘さんかい?」

看板娘も答えた。

「へえ、そうでやんす。」

旅人は続ける。

「どうして皆の夢にこうやって現れるんで?」

2人は顔を見合わせてクスッと笑って答えた。

「何を仰ってるんですか?私達の夢に皆さんが出てきているんでやすよ。」

旅人は意味が分からなかった。

「何を仰ってるんだい?これは私の夢でござんすよ。」

2人は再びクスッと笑って答えた。

「いや、いや、旅人さんはこの世に存在しておまへんがな。これはわたしらの夢なんですから。」

次の日、根岸の町から人が誰も居なくなった。



おしまい