第一章ドキドキ

「優しい関係」の中高生たち。

「優しい関係」とは、周囲の人間との衝突を回避しようとする人間関係である。
そのような関係を営む若者たちは、互いのまなざしをいじめの被害者へと集中させることで、自分たちの関係から目を逸らし、「優しい関係」に孕まれる対立点の表面化を避ける。

今日、学校を舞台に繰り広げられる生徒どうしの関係は、個性化教育の影響が考えられる。

個性化教育」は、まだ白紙の存在である子供を社会化する「教育」というよりも、すでに存在する素質の開花を手助けする「支援」という発想に近い。したがって、自分の本質へのこだわりというかたちで、生得的な属性を過剰に重視するような態度の形成につながる。

その結果今日、生徒同士の関係は「自分探し(生まれ持った素の自分)」をする人間同士の関係であって、思想や心情のような社会的基盤を共有したものではない。直感的な感覚の共有のみに支えられた関係である。直感的な感覚を頼りにするため、それを根拠とする関係は一貫性がなく不安定である。


第二章

70年代の高野悦子の日記と現代の南条あやのウエブ日記を比較する。

高野→自己の存在証明を「思想」に見出す。自分の感覚だけにとらわれないから他者の視点を取り込んで、自己を相対化できる。自律的な自己を求めて「見られない」ことを望んだ。高野の生きづらさは、「自律したい」けれど周囲の人間がそれを妨げることである。

南条→「身体感覚」に見出す。自己の根拠を身体感覚に見出している南条は自己の中に他者の視点を持てず(つまり自己を相対化できず)、そのとき自分は世界の中心点となる。しかしそれは社会という確固たる根拠をもたない空虚な中心点である。それゆえ、具体的な他者からの絶えざる承認が必要となる。生きづらさ=「見られない=承認されない」こと。


第三章
純愛物語ブームに関して。
従来の純愛物語=社会的差別や親の無理解といった周囲の軋轢をバネもして主人公たちの恋愛が純化されていく。
⇔現代の純愛物語。脱社会的な筋立て。(『恋空』など)最初から二人だけの世界を生きている。そして病気や死といった生物的な障壁が二人の愛を純化する。

☆純粋なものへのあこがれ。
互いの利害関係や既存の役割関係にとらわれない純粋な人間関係こそ、この世界でもっとも尊いと思っている。
そこには純粋な自分も存在するからである。
but,昔の若者→社会との対比の中に純粋さを見出す
⇔今の若者→脱社会的な地平に純粋さを見出す。
(参考)反社会的=ある社会規範の存在を認めた上で、それに対して攻撃にでる。
非社会的=その規範に対抗できずに逃避しようとする。
脱社会的=そもそも最初からその規範の存在を認めていないためにそこから離脱する。


⇒脱社会的物語の読者の求める純粋さ→内閉的。身体のように生まれながらに与えられた絶対的なものに純粋さを求める。だから生物的障壁が彼らの純愛を高次元に押し上げる。

純粋なるものが生まれもった実体ならば、言葉以前の身体的感覚こそが彼らの感じる純粋さの本質。(例「むかつく」「泣ける」ブーム)

自己の直感に頼った純粋な自分は一貫性がないので、自己肯定感が低い。他者からの絶えざる承認が必要→「優しい関係」


第四章

ケータイ。

ケータイ=接続志向

       「極限の直接性」…自分の内面が外部世界とじかに触れ合っている。

顔文字、アバター、デコ電→ケータイの身体性。自己の身体の一部。


ケータイのコミュニケーション→つながりたい、承認されたいという欲求をとりあえず満たしてくれる。強い身体性をともなった自己承認への欲求が潜む。

例 「鏡」の役割


直接性→自分と異質な人間との接触は自己を傷つけやすい。→メールのほとんどが同質的なつながりの維持に使われている。


純粋な自分…気分も移ろいやすく、一貫性に乏しい。断片化した自己は「いま」にしか強いリアリティをもてない。→今の感覚をいつでもどこでも送れるケータイメール。


人間関係のマネジメントを行いやすいケータイ→(確固たる自己がないので)いつでもどこでも適した相手をえらびつながれるケータイ、その時々の気分に応じた指針や自己承認を与えてくれるケータイは重宝。


第五章ネット自殺


ネット自殺の特徴

①動機に切迫感がない

②過程をめぐる不可解…感情的交流のない赤の他人と自殺


豊かな社会…選択肢がありすぎてどれも本物たりえない。⇒『生の名伏しがたい空虚』『現実の生に対するリアリティが希薄』

←絶対的なよりどころを回復する唯一の方法はあらゆる目標を全否定してしまうこと→暴力的な形(オウム真理教)

しかしそれはできない(オウム真理教の失敗)


死のイメージのゴスロリ→死のイメージを逆説的に用いて生のリアリティを強める。


トラウマ体験=アイデンティティの核


経済原則優位の社会腹を割った付き合い→場の空気を読めて誰とでもうまくやっていける人物がいいという価値観。


→今の若者…所属する団体によってキャラの使い分け→自己の統一的なイメージがゆらぐ→生のリアリティ希薄。


現実的世界の否定には走らず、狭い範囲の人間関係の固定化に走る。

butそれが生のリアリティにあふれているというわけではない。なぜなら、小集団の孤立化が進むほど「優しい関係」が進むから。


→自殺を通じでリアリティの欠けた現実世界を終結させるしかない。



それでは、なぜ赤の他人となの?

→ネット自殺…死という絶対的で純粋な接点だけでつながっているからこそ純粋な関係と彼らが感じるリアリティが成り立つ。


ネット募集するのはなぜ?

インターネット…情報量と中身を操作しやすく(一点だけでつながれる)純粋な見かけの保たれやすい。←生身の他者がネットの向こう側にいることで「リアル感」が増す。


インターネットの変容

純粋な関係を保つことから現実の人間関係の多元化と重層化を進める方向へ。「優しい関係」がネット上でも→ネット自殺は減るだろう。