パート8。 | 松竹芸能師匠たちのオフィシャルブログ『アラ還ブログ』Powered by Ameba

パート8。

海原はるかです。

少しずつ色々な事を思い出してきましたが、不思議なもので多分嫌な事も多々あったと思いますが何故か記憶から遠ざかって楽しい事や辛かったけど笑えるシーンしか出てこないのは僕のプラス思考の性格と両親や弟と一緒に生活していた時から受け継いであまり物事を暗く受け止めない和泉家(僕の本名が和泉秀一です)の家系かも知れないなぁと思っております。

師匠の仕事が遅くなり時には深夜になる事もありましたが、姉弟子や家具従業員の皆さんとの団欒の一時は楽しくて青春の1ページですが、基本を忘れてはなりません!僕は家具従業員では無く海原お浜・小浜師匠の漫才弟子である事を。

兄弟子が居なくなり姉弟子は妹さんとのコンビ結成は決まってますのでなんとかしなくてはなりませんが、熊本訛りの矯正他色々と考えなければならない事が多々ありますが、ありすぎてどこから手を付けて良いのか全く分からず、しばらくは家具手伝いに没頭しておりました。

お浜師匠は元気な方でしたが、食べる事に関してはあまり欲が無く、御飯と味噌汁に漬物が有れば他は要らない人でしたので有る時体調不良になられて病院で診察を受けられたら先生の診断は栄養失調でした。笑うに笑えない診察結果に流石の師匠もビックリして周りの皆さんのアドバイスも有り栄養のバランスを考えた食事をされるようになりました。
逆に食べ切れない位に色々な美味しい物を注文しては食べられないからと僕にはよく美味しい物を食べさせて頂きました。注文した品は皆僕の大好きなメニューばかりで師匠の優しさをつくづくと感じました。

時間の経過と共にコンビを組む予定でした兄弟子の事は思い出さなくなりました。やはり今で言えば絶対的な絆は無く、漠然としたコンビを組むかもしれない程度の気持ちでしたし、御両親の体調不良での帰郷となりましたので、気持ちは完璧に切り替わってました。

家具手伝いがメインで残り僅かな時間が漫才弟子としての動きでした。弟子としての瞬間は楽しい一時で先行きは不透明でしたが、師匠から突然嬉しいコメントが、「秀ちゃん誰か漫才コンビを組んでもいい様な人は居ないのか?」と突然の師匠からのコメントに頭の中で考えましたが、漫才コンビとなるといるようでいないのですが、その瞬間ひらめいたのが手紙のやり取りをしてました明蝶芸術学院の同期生の西尾君でした。学院時代からなぜか気が合ってよく喫茶店で未来の役者同士は夢を追いかけ熱く語り合った仲間でしたので、学院卒業後も連絡を取り合ってましたが、手紙のやり取りで当時西尾君は長距離のトラックドライバーの仕事をしながら夢を追いかけてました。即連絡は取れませんので手紙を書いて彼のアパートに郵送しました。続きは又次回に。

写真は今日日帰り旅行に行った知人からの御土産をパチリ。