パート6。 | 松竹芸能師匠たちのオフィシャルブログ『アラ還ブログ』Powered by Ameba

パート6。

海原はるかです。

お浜師匠の優しい言葉に気持ちを切り替えて一生懸命に家具手伝いをする事になりましたが、主な仕事は展示されてます商品を綺麗に磨いたり、来店のお客様の希望される商品への御案内でしたが、とにかく商品が良くて値段も安いうえにチラシ広告の目玉商品を目当てに御来店のお客様が右肩上がりでもちろん売り切れ商品続出でした。

小物の商品はお持ち帰りして頂きますが、他はオール配達で届けさせて頂きますので、配送の仕事も手伝う事になりましたが、僕は運転免許証を持ってませんので何時も助手席でドライバーさんと一緒に行動を共にしておりました。ドライバーさんも家具従業員さんの時は言われた事をやり多少失敗しても従業員さんが笑顔で受け止めて頂き、必ず漫才頑張りの励ましを頂いたのは気持ち救われました。そして大忙しの海原家具ですから僕が弟子入門した時に色々教えて頂いた兄弟子と一緒に家具配達の仕事をする事も増えてきたのです。もう一人の姉弟子は師匠宅の野暮用が多々有りますので、家具手伝いとかは全く無かったと記憶してますが可愛らしい女の子でしたが、あとに大化けした(海原千里・万里)の海原万里さんでした。千里さんがたしか高校生か中学生かなぁ?はっきりしませんが、千里さんの卒業待ちで漫才デビューは決まってたと思います。

僕はとにかく目の前の家具手伝いをしながら師匠が仕事先から帰宅された時からは少しだけ漫才師の弟子に変身する毎日を過ごしてましたが、家具の仕事が忙し過ぎて一瞬漫才師の弟子である事を忘れかけてしまう時もありました。

そんな時に師匠は僕の気持ちを察してと思いますが、必ず優しい一言をかけて頂き本当に有り難く感謝しておりました。海原家具の余りの忙しさに新規従業員を募集して若い人が入って来ましたので僕の家具手伝いの負担は少し楽になり、師匠在宅の時に身の回りのお世話をしたり兄弟子や姉弟子と一緒に家具従業員さんの夕食後の洗い物の手伝いをしながらの将来の夢を語り合えたのは気持ちが落ち着きました。

三人の弟子の中では僕が一番体力が有り腕力も有りましたので、肩こりがひどい師匠のマッサージは僕担当になりましたが、マッサージをしながら師匠の苦労話や色々大切な話を聞かせて頂いたのは安らぐ一時で有りながら大きな僕の財産になりました。
その中で今でも大切に守っている事が一つ有ります。芸人は絶対に有名人と一緒に写真を撮りたいと思ってはダメで一緒に写真お願いしますと言われる存在になりなさいは僕の心の中に刻み込んでおります。(基本僕的にはムチャ有名人でも一緒に並んで写真に収まりたいと思わないのは自分が一番大好きなんです。)

ぼくのアルバムの古い写真を見ても有名人とのツーショットは弟子修行中に家具従業員の皆さんと一緒に慰安旅行に連れて行って頂いた時に師匠とパチリ!した一枚のみですね。

最近は何故か若い人に写真いいですかと笑顔で求められる事が多くなり喜んでおります。姉弟子は妹さん卒業でデビューが決まってましたが、僕は全くでしたが多分一緒に寝起きしてる兄弟子とのコンビ結成が自然な流れかなぁと思ってましたら、師匠に二人揃って部屋に呼ばれてコンビ結成の話を頂き、一緒に家具手伝いしながら意気投合した部分も有りましたので、了解して漫才コンビとしてのスタートとなりました。師匠命令で短いネタを作って師匠に見て頂き、面白かったらプロダクション社長に報告してデビュー出来ると聞き二人揃ってネタ作りに邁進しました。

写真はデビューして初めてのプロフィール写真です。