振り返ってパート4。 | 松竹芸能師匠たちのオフィシャルブログ『アラ還ブログ』Powered by Ameba

振り返ってパート4。

海原はるかです。

読者の皆様に喜んで頂き早く続きを書いて欲しいの嬉しいコメントやメール&LINE迄頂きましたので、今日は前回の続編を書かせて頂きます。

明蝶芸術学院の卒業公演の客席にプロダクション関係者やテレビ関係者他スカウトの方がご覧になって芸能プロやTV番組への出演依頼があるかなぁと思ってましたが、現実は厳しいの一言に尽きました。ただ有難かったのは二年間の間に何処で知り合ったかは思い出せませんが、広告代理店の方と仲良くなりアドバイスして頂いたのは大阪で役者として飯を食うのは至難の業やからとにかく笑いの街大阪では漫才で頑張って結果を出せば役者の仕事も入って来ると言われ、自分も納得しました。その方の紹介でプロダクションに連れて行って頂き社長さんに会う事となりましたが、あまりにトントン拍子の話の進み具合に当時は単純に喜んでおりました。

プロダクションの所属芸人さんは(若井はんじ・けんじ、横山ホットブラザーズ、海原お浜・小浜 他ベテランから若手まで)と教えて頂きましたが、熊本の田舎育ちでTVで漫才をあまりみた事が無かったので本当に知らない世界でした。

広告代理店の方が僕の事をプロダクションの社長さんに紹介して頂き社長さんに言われた事は、今海原お浜小浜さんは男の弟子が少ないから一度頼みに行って見なさいでした。
社長さんに言われた通りに当日TV番組出演の為に楽屋入りされている海原お浜・小浜師匠に御挨拶して弟子にして頂く為に難波のホールに会社のマネージャーさんと一緒にお願いに行かせて頂きました。もちろんTV番組収録現場は初めてですので、マネージャーさんに連れて行って頂き海原お浜・小浜師匠の楽屋に入って御挨拶して弟子入りをお願いしました。
両師匠の口から出た言葉にはビックリでした。「兄ちゃん、私ら女やからキツくて厳しいから弟子として務まらないから無理やから諦めなさい」のコメントに僕も必死の気持ちで両師匠に申し上げました。
「お二人の事を女やとは思ってません。」
両師匠の顔色が変わり烈火の如く怒られたのは当然でした。僕としては、両師匠に弟子にして頂けなかったら大阪の芸能界で生きるチャンスを無くしてしまうと思い必死のお願いから出た言葉でしたが、余りにも失礼で怒られて当然でした。
しかし、次に出た師匠の言葉に安堵しました。「兄ちゃん住み込み弟子として採用するから荷物を一まとめにして準備が出来たら(師匠の)家に来る様に」と言って頂きホット一安心して御挨拶してホールを出て、細かい打ち合わせをマネージャーさんとして荷物を置いてました新聞直配所に帰りました。

どう考えても師匠にはビックリするくらい失礼な言葉でしたが、後で聞いた話なんですが師匠曰く、ムチャ変な奴やけど間違ったら売れるかもしれないの思いでの弟子採用とお聞きしました。

僕の師匠は海原お浜・小浜師匠ですが、住まいは当時京阪電車森小路駅の近くに有りました海原お浜師匠宅に住み込みで弟子修行の始まりとなりました。当然漫才弟子ですから師匠のカバンや衣装をお持ちして、テレビラジオ他仕事場に行くものと思ってましたら大きな間違いで、何で?漫才弟子修行の苦難の道の始まりとなりましたが又続きは次回に書かせて頂きます。

写真は久しぶりの大正駅近くの居酒屋さんで頂いたホタルイカのお造りをパチリ!はムチャ美味しかったです。