人生振り返ってパート2。 | 松竹芸能師匠たちのオフィシャルブログ『アラ還ブログ』Powered by Ameba

人生振り返ってパート2。

海原はるかです。

先月に一度書かせて頂きました我が人生を振り返っての第二弾を今日書かせて頂きます!

高校二年生の時に俳優小沢昭一さんに憧れて単純に役者になりたいと考えた僕ですが、最初に両親を説得しなければならない大難関が待ち受けております。芸能界とは無関係の銀行員と元教師の両親を説得するのは超困難な事なのですが、今考えたら全ての行動が余り深く考えずに実行してたような気がします。芸能の世界に行きたい気持ちを伝える為に取った手段は、家出という行動でしたが、東京や大阪に行くのでは無く選んだ先は鹿児島県でした。

なぜ鹿児島に家出を決行したかは今考えたら単純に思いつきしか無いですね。行動を起こす事で気持ちを訴えると言うやり方は基本今でも変わりませんし、自分に合っていると確信してます。自転車で熊本駅行き各駅停車を乗り継いで深夜に西鹿児島駅に到着した記憶は今でも鮮明に残っております。しかし駅付近を歩いてましたら早速地元の叔父さんに声をかけて頂きました。家出少年と分かり初対面の方の家に泊めて頂き、翌日熊本に帰るように説得された後に屋台のラーメンを御馳走になった記憶と味は今でも覚えております。

その後に事件が!各駅停車の移動で疲れた身体は叔父さん宅の部屋で爆睡状態に入ろうとした瞬間に僕の枕元に二本の足が?薄目を開けて見たのは下半身裸の親切な叔父さんの笑顔でした。ビックリして枕元の荷物を持って、家を飛び出し必死で逃げて公園を見つけ服に着替えて叔父さんに貸して頂いたパジャマはゴミ箱の中に入れ思わず出た言葉は怖かったでした。後は巡回中の警察官の方に声をかけられて警察の鉄格子の中での宿泊は安心の眠りとなりました。

両親に迎えに来て頂き再び熊本に帰り高校卒業後に役者になりたい気持ちに変化が無ければ改めて話し合う事で卒業迄頑張りました。当時の高校の同級生は何故か皆さんが頑張れの応援ばかりで反対する同級生は誰一人として居ませんでしたし、超真面目人間の弟も兄貴を応援してくれたのは気持ち的には助かりました。
高校生活も終わり卒業式を迎える時期に改めて話し合う事になりましたが、僕の気持ちが全く変わらない事で両親が出した提案は日大の芸術学部に行って勉強しながら役者を目指す提案でした。
有り難いとは思いましたが大学生活で必要な学費や他諸経費を入れたら膨大な金額になってしまうので断りました。東京か大阪か活動の場所選択で選んだのは何故か大阪で、大阪に行く手段として弟が考えてくれた手段は僕的には納得出来る方法でした。

大阪の新聞社全社に手紙を書いて送る方法でしたが、手紙の内容は、僕の兄が大阪で俳優小沢昭一さんを目指していますが熊本の田舎者で、俳優になる為にはどうすれば良いのかもまったく分かりませんので、何か出来る方法が有れば教えて頂きたいでした。我が弟ながら良く考えたなぁと思いますが大阪の新聞社が大小含めて何社有ったか知りませんが手紙を投函して決めたのは1ヶ月間は待って返事が無い時は又別の方法を考えようでしたが、別の方法があるのか?考えもしませんでした。ポストの中を見てはガッカリの毎日でしたが、諦めかけてた頃に読売新聞社からの封書が一通ポストの中に入っておりました。開封して内容を見ると大阪に明蝶芸術学院と言う芸能学校が有り二年間の勉強で卒業になりますので頑張って新聞配達が出来る様でしたら月謝の方も奨学金で応援しますの最高のメッセージが書かれておりました。
続きは又書かせて頂きます。

写真は大好物のカツ丼をパチリ