一日休養して書いてます。 | 松竹芸能師匠たちのオフィシャルブログ『アラ還ブログ』Powered by Ameba

一日休養して書いてます。

海原はるかです。

今日の目覚めは超ゆっくりの朝10時に布団から出ました、昨日は角座出番終わりでジムへ直行してベンチプレスをメインにトレーニングを終了して自宅に戻りましたので今日は一日休養日に。

ジムも長年通ってますとメンバーの入れ替わりも多々あり改めて続ける大切さと難しさを感じますが僕は入会(50歳の頃でしたから23年位になります)した時からトレーニングとは思わず仕事やと考えましたので継続出来たと確信してます、過去を振り返って思うのはムチャ昔の方が記憶が鮮明に蘇る気がしますが回想する事もボケ防止の一環と思い書いてます。

西尾君と弟子修行してる時の記憶の中で彼が師匠の車を運転して送迎してましたのが当時千里丘にスタジオがあった毎日放送で収録されてましたレギュラー番組(お浜小浜の千客万来)と言う当時の人気番組の一つでした、僕は余程の事が無い限り放送局に行ってスタジオや楽屋にお邪魔して当時のテレビ業界や芸能界の雰囲気を味わう事は皆無に近い状況でしたが余り彼が羨ましいとは思いませんでした。

これは僕自身が有名人に会いたいとか憧れる芸能人が無く兎に角自分自身が一番大好きな正直少し変な性格と言いますか変り者でした(それでもお浜師匠に言われた事で今でも大切に守ってますのは、有名人と一緒に写真を撮って喜んでる様ではダメ写真をお願いされる様な立場になりなさい)でも時々ですが家具手伝いの仕事が暇な時に師匠の弟子としてお供させて頂いた時は何故か嬉しくプチ感動してテレビ局で見たタレントさんが出演されてる番組を見ては一人親近感を覚えました。

当時の和泉君は芸能人になる為の必要不可欠な要素が多々欠けていた事は良く覚えております、今の時代でしたらお国訛りと言いますか僕で言えば熊本弁もネタになる時代だと思いますが当時は完璧にアウトでしたが西尾君が入門してからは二人で共に行動する事が多く会話の度にアクセント指導をしてくれたのは熊本なまりを取り除くのに助かりました。

彼は関西エリアの奈良県天理市の出身なので少しづつ僕の熊本なまりを矯正してくれたのです、彼は何か有れば弟子として師匠と一緒に車の運転をしながら行動してましたが僕のメインは家具手伝いでしたので普段は作業服のみの生活でしたので放送局に行く時の服が無いのです。

当時僕が持ってました服は自分で言うのも何ですがセンスの無い良くぞこんな服を着て街を歩く根性が凄いと周りの皆さんに言われた位ダサイ青年でしたので西尾君にも良く注意されましたが正直大変でした、写真は我が家のベランダから外の風景をパチリ!爽やかですが風が強いです。