少しづつ思い出しました。 | 松竹芸能師匠たちのオフィシャルブログ『アラ還ブログ』Powered by Ameba

少しづつ思い出しました。

海原はるかです。

今朝の起床は7時ジャストに目覚まし時計のアラーム音無しで爽やかに、今日は久しぶりの心斎橋角座の出番が待ち受けてますので頭を洗ってヒゲを剃っての我が家出発となりました(久しぶりに会う若手からベテランの皆さんはムチャ元気で一安心しております)過去を振り返って色々考えてましたら少しづつ記憶が蘇って来ました。

西尾君とコンビとして頑張る為の弟子修行の始まりなんですが僕は車の免許証が無い為に弟子でしたが殆ど師匠の仕事場のテレビ局やラジオ局他営業先に師匠と一緒に行動する事は皆無に近い状況でしたが仕方ないなと自分で納得してました、しかし西尾君はトラック運転手の経験から大阪市内の道路は熟知してましたので師匠の仕事場への送り迎えをマネージャーさんの代わりに良くしてたのは覚えております。

それでも海原家具の仕事も結構忙しくなり師匠と御主人が西尾君の取り合いで話し合っている姿を見て何故か和泉君は笑ってしまいました(入門するまでは芸能界の師匠は厳しくて何時も弟子はピリピリしてるもんやのイメージがありましたが全く逆で、我が師匠は本当に優しくして頂き弟子と言うよりは自分の子供みたいな接し方には有り難く感謝しかありません)西尾君と和泉君は少しづつですがコンビとしてデビューする為に家具手伝いをしながら漫才ネタ作りにも力を注いでおりましたが漫才台本を書くのは全て西尾君なんです、何故か西尾君は僕に台本を書く能力が無い事を見抜いていたのか台本作成は僕には求めませんでした。

それでも忙しい家具手伝いの後の台本作成ですからスムーズに西尾君の台本作成の筆が進む時もありますが疲れ切って原稿用紙を目の前にして熟睡してる姿を見ると申し訳無いなと思ってましたが僕に愚痴る事は一切ありませんでした、そんな西尾君に比べて和泉君は一生懸命には色々な事を頑張っていましたが本当に失敗の多い人でした。

他の師匠の弟子でしたら絶対破門間違いなしと思う失敗談を一つ披露させて頂きます、当時の弟子は入門と同時に付き合っている彼女が居たら絶縁して酒は当然ですが一切禁酒でタバコも駄目でしたが師匠の弟子に関して言えばタバコだけは何故か許して頂きました。

ところが和泉君は事もあろうに隠れて寝タバコして自分が寝てる布団が焦げた匂いで気が付き大騒動になってしまいました、幸いにも布団が焦げただけで済みましたが師匠には一週間口を聞いて頂けませんでした(何が辛いと言いましても一切喋って頂けない事は本当に辛い体験でした)写真は僕が大阪で新聞配達を始めた時に配達区域の読者のお客様に御挨拶を兼ねた折り込み広告に掲載された18歳の和泉君です。