突然の別れでした。 | 松竹芸能師匠たちのオフィシャルブログ『アラ還ブログ』Powered by Ameba

突然の別れでした。

海原はるかです。

明け方近くの雨音には微妙に気付きましたが気にせず眠ってましたら目覚めは9時前になりベランダから外の景色を見ると曇天ですが気になりません、今日は一日中家で落ち着いて過ごすスケジュールに決めてますので!
何もせず一日過ごす事は最初の頃は退屈でしたが最近は身体中の疲労を取り除くには大切と痛感出来るようになりました。

ポストを覗くと新聞が投函されてませんので新聞休刊日スケジュールを確認しましたが休みではなく早速直売所に電話して持って来て頂きました(所謂不配は初めてなので配達員の方が代ったのかなと思ってます、元新聞配達少年ですから結構敏感なんです)朝食を済ませて椅子に座って珈琲を飲みながら昔の記憶を紐解きます。

海原お浜師匠の前で当時の兄弟子と初めて演じた漫才の寸評は最悪の評価だったのは鮮明に記憶しております、一瞬でしたがコンビ名は互いの本名から(勉&秀一、つとむ しゅういち)で喋りましたが鹿児島なまりと熊本なまりの方言漫才の師匠の評価は何を喋っているか全く不明で漫才では無く単なる田舎の兄ちゃんの会話でしか無いの完璧な不合格点でした。

しかし二人は余り落ち込む事も無く師匠の御主人の海原家具店の手伝いを黙々と頑張っておりました、その間にコンビとしての話し合いは全く無く少し不安を感じ出しておりました。

しばらくして突然兄弟子が僕に切り出した話から意外な展開に(鹿児島出身の兄弟子の御両親が体調不良で今で言う介護が必要になり田舎に帰る決心をしたとの事)残念ですが仕方ないかなぁと思いました、長年のコンビでしたら又違った気持ちになったかも知れませんが逆に仮のコンビでしたから余り落ち込む事は無かったですね。

兄弟子が鹿児島に帰る時は新大阪駅まで見送る予定にしてましたが海原家具の手伝いが多忙で京阪電車の森小路駅まで見送ってホームで握手して別れました、コンビが不在になりましたが家具手伝いの仕事が一人減った分余計に忙しさは増してますが矢張り若さの素晴らしさと言いますか夢を追いかけてるエネルギーからか疲れは一切感じませんでした。

そして漫才弟子が僕と姉弟子(後の海原万里さん)の二人になりましたので互いの芸能界への憧れや夢を語り合いながらコンビ不在の気持ちを慰める一時となり又新しいエネルギーを頂き夢に向かって頑張る和泉秀一(後の海原はるか)さんでした。

写真は僕がジムでお世話になってますトレーニング師匠が書かれた作品をLINEで送って頂きました、師匠の仕事は建築設計技師なので趣味で描かれたとの事です。