今日も書きました。 | 松竹芸能師匠たちのオフィシャルブログ『アラ還ブログ』Powered by Ameba

今日も書きました。

海原はるかです。

昨日と違って今日はムチャOKなトレーニング日和で喜んでます、部屋ストレッチの後は階段ウォーキングの登り降りを計50回(20回ずつしてウオーター休憩し40回終了で階段で珈琲を飲みラストスパート)で足腰を鍛錬してます。

毎日過去を振り返ってブログを書かせて頂いてますが言えるのは楽しい思い出は記憶に残って嫌な事は記憶の片隅から遠ざかってるのは逆に嬉しいです、新聞配達の見習いをしながら先輩に色々教えて頂き頑張ってましたら先輩が明日から和泉君が◯◯地区を配達してもらいますのコメントが!

余り突然でしたので少しビックリしてましたら数日は先輩が同行して僕が出来る迄指導してくれるとの事。

そして明くる朝は30分早く起床し配達準備して先輩と一緒に配達エリアに到着、そこで渡されたのは順路帳(じゅんろちょう)でした。

順路帳とは新聞購読者の名前が書いてあるんですが覚えられるか不安でしたら先輩曰く大丈夫、最初に配達する家さえ覚えたら後は名前の横の空白の欄にメモ書きしたらOKとの事でした。

つまり最初の家に新聞を入れたら次に入れる家は三軒隣(実際には三ト)と書いて覚える方法でした、他斜め前の食堂とか自分さえ分かれば良いので納得して結構早く配達出来ました(当時は表札の名前は必ず書いてあり迷う事は全くなかったですし、マンションは少なくアパートが多かったのも幸いでした)

新聞配達にも慣れて集金や新しいお客様のセールス作業も手伝いながら毎日を過ごし遂に明蝶芸術学院の入学式の日を迎える事に、夢に見た芸能界への足がかりとなる日になりました。

学院は二年間の授業で演劇科と漫才科に分かれてましたが(僕は勿論演劇科です)最初の一年は両科共に芸能の基礎訓練からスタートです、発声練習や日本舞踊やバレエ他殺陣(たて、いわゆるチャンバラのやり方です)台本の読み方など色々教えて頂きましたが僕が一番苦労したのは言葉でした。

生粋の熊本人ですから熊本弁丸出しで喋ってましたが地方なまりは完璧にアウトですから先生の厳しい指導とアドバイスでNHKのニュースを聞いて耳から標準語を覚え熊本なまりを取り除く訓練から始めました、写真は朝テレビで同じ松竹の森脇健児君と代走みつくに君を見て気持ちが癒されてます。