遂に大阪へ | 松竹芸能師匠たちのオフィシャルブログ『アラ還ブログ』Powered by Ameba

遂に大阪へ

海原はるかです。

遂に高校二年の時に俳優になりたいと漠然と思った夢の実現に向けて第一歩のスタートを切ることが出来ましたが気持ちは不安いっぱいでした、熊本から大阪に向かう夜行列車に乗る時にホームまで両親と弟が見送りに来て笑顔で手を振ってくれましたが列車が出発する頃には涙が溢れてました(初めて親元を離れ大都会大阪に行く不安と恐怖に襲われてた事は記憶に残ってます)

大阪までの夜行列車は寝台車ではなく二等指定席でしたが気持ちが高ぶってましたし初めての一人旅で財布には両親から頂いたお金や弟からの餞別が入ってましたので盗まれたら困るの気持ちから大阪到着まで余り眠れませんでした。

早朝に大阪駅に到着した後は読売新聞の手紙を頂いた若手の担当者の方が待って頂いてると聞いてますが不安一杯でした、待って頂いてる場所は大阪駅の中央改札口前と手紙に書かれてありましたが何せ熊本駅と違い人の多さにドギマギしながら中央改札口を駅員さんに教えて頂きやっと発見!

改札口を出て担当者の方を探そうとしたら即発見出来ました。

男の方が大きな紙を持って改札口の方に見えるように示してくれてました、紙に書かれた文字を見て僕も初めて笑顔に(歓迎  熊本済済黌   和泉君)嬉しくなって宜しくお願いしますと頭を下げた事は鮮明に覚えております。

そして一緒にタクシーで僕の勤務先となる読売新聞難波直売所に向かいました、直売所到着後は店の所長さんや奥様他従業員の方達に御挨拶して二年間住まわせて頂く寮に入り熊本から先に到着してました荷物の整理で大阪の初日は終了。

そして明くる日からは新聞配達の先輩の指導のもと新聞配達少年としての仕事を覚えることからスタートです、朝3時に起床して新聞が店の前に到着するのを待ち到着後は先輩の指導で折り込み広告を新聞に挟んだり配達区域別に新聞の枚数を数えて置いていきます。

最初は同じ繰り返しで少しずつ慣れて来た頃に先輩と一緒に新聞の運び方やお客様の家に新聞を入れる方法を配達しながら教えて頂きましたが簡単そうに見えて結構大変やなぁと感じました、ある意味必死になって仕事を覚えない事には芸能学校にも行けないと感じてましたし兎に角毎日が生きることに必死状態だったのは間違いないですね。

写真は食卓に花が咲くと何故か気持ちが落ち着きます!