大阪行きを決意 | 松竹芸能師匠たちのオフィシャルブログ『アラ還ブログ』Powered by Ameba

大阪行きを決意

海原はるかです。

今日も昨日の続きを少し書かせて頂きます!
 
両親と一緒に熊本駅まで帰る途中自分の気持ちがどうだったか全く記憶に残ってませんが伝える事が出来た分スッキリしてたのは間違い無いですネ、熊本駅に到着する頃には当時から頼りにしてた弟が改札口で笑顔で待っててくれました。

家出したのが土日の二日間でしたので学校関係者に知れ渡ることも無かったのは今考えたら不幸中の幸いでした、卒業までは真面目な学生に戻り生徒会の会長まで務める良き青年でした。

勉強も一生懸命に頑張り試験で赤点を取ることも無く無事卒業を迎える事になり両親との話し合いの場が弟を含め四人で始まりましたが、両親は僕の俳優になりたいの気持ちは熱病と考えてたらしく再度の話し合いでビックリ状態でした。

何回かの話し合いの結果両親から出た言葉は(日大の芸術学部への進学でした)僕にすれば大学受験からスタートして卒業までの学費や生活費を含め膨大な金額を両親に甘えるのは絶対嫌でしたので悩みましたが弟と二人きりになった時に彼が(兄ちゃん大阪と東京どっちに行きたい?)僕は即答で大阪と答えました、熊本の田舎者の少年にとって東京は怖い都会のイメージがあり大阪は言葉に気持ちが癒されるイメージがありましにので答えは大阪でした。

それから弟は何をしたと思います?大阪の全新聞社の所在地を調べて各社に手紙を書いて送ったのです、内容は?僕の兄が大阪で俳優になる夢を持ってますが全く未知の世界の事なので教えて頂けたらありがたいの内容でした。

聞かされた僕は驚きましたが弟の知恵には頭が下がる思いでした、そして両親に大学に行かない気持ちを伝え大阪の新聞社からの連絡を待ってましたら三月の中旬に読売新聞社から連絡があり大阪に明蝶芸術学院という芸能学校があるので新聞配達をしながら頑張る気持ちがあるなら新聞社の方から奨学金も出しますの有り難い連絡でした。

勿論有り難く大阪に行く決心をして夢膨らむ和泉秀一でした、写真は小さ過ぎて分かりにくいですが高校時代の僕です。