ご無沙汰しています。
今、年末年始を家族で過ごそうと、千葉の家に来ています。

今年は本当に激動の1年でした。

島の生活にも慣れ、夫は船着場と荷物の配達の仕事で
島中のみなさんに覚えていただき、人気者になり、
私は島特産のひじきの釜炊きを1人で任されるようになった頃、
夫がくも膜下出血で倒れました。4月のことです。

もはやこれまで、という病状から、奇跡的に生還し、
現在は、まだ仕事はできませんが、
日常生活にはほとんど支障がないほどまでになりました。

退院後数ヶ月は、何事も自分中心にしか考えられず、
倒れる前よりも、かえって気難しくなったと感じましたが、
あるときを境に、急激に夫の言動が変化してきました。

そのきっかけは、夢でした。
あるとき、夫は私に捨てられる夢を見たのだそうです(笑)。
その夢のリアルさ、悲しさ、絶望感、恐怖感が夫を変えました。
まるで夫は、初めて私の存在に気づいたように、
私の話を聴き、私に気を遣うようになり、やさしくなりました。

夫は以前、家族以外の人には素晴らしい気遣いでやさしくできるのに、
家族にはまるで正反対に接するので、
せめて外での10分の1でいいから、家族にもやさしくしてほしい、と願ったものでした。
器用で家の修理でも電気や機械のことでも、何でもできる人ですが、
「何もできなくてもいいからやさしいお父さんがいい」と
娘たちはよく、嘆いていました。

本当に、病は、大きなプレゼントでした。

病気をしたおかげで、弱い立場の人の気持ちも理解できるようになり、
テレビでドキュメンタリーなどを一緒に見ていても、
いろいろなことを深く感じ入るようになって、
夫婦でしみじみと共感しながら語り合うことが多くなりました。

結婚して27年たって、やっといい「距離感」がつかめた感じです。

昨日、久しぶりに地元の友人たちと会って食事会をしたのですが、
夫の私への言動を見ていた友人が、
「ご主人、素直になったんだねー!」と驚いていました。
以前は「そんなに奥さんのことが好きなら、もっとやさしくしてあげなさい」と
叱られるのが常でしたが(笑)。
人間って、変われるんですね。

11月には、3番目の娘が結婚し、新しい家庭を築き始めています。

人生は、思いがけないことの連続ですから、
これからもまだまだたくさんの出来事が待っているでしょうが、
私は心からワクワクしながら、どんなことも受け止めて
楽しんで生きていけると信じています☆
この春は、通常のひじきの作業(ひじき漁、ひじき干し、袋詰め)のほかに
釜炊きの習得、実践、そしてとうとうたった一人で釜炊き作業を任されるようになり、

わずかな仮眠をつなぎながら、この潮を乗り越えました。
次の大潮まで、ちょっと一息つけそうなので、投稿します♪

ひじきは、写真のような大釜で炊きます。
作業場によって、大きさはまちまちですが、
この釜でも、特別大きいわけではありません。

この一つの釜につき、土嚢袋20個分ずつの
ひじきを入れていきます。
この作業場では釜が2つなので、一度に40袋分炊けるわけです。

少な目の井戸水を沸かし、少しずつひじきを投入しながら、
三本鍬で上下、前後を返しながらかきまぜて、ムラなく炊いていきます。
点火から約1時間半ですべてのひじきを投入し、
最後のひじきを投入してから、最低でも4時間、火力を保ちます。
柔らかく、ふっくらと炊き上がれば火を落とし、
翌朝まで蒸らします。

大きな燃え残りの薪を取り除き、熾きをわずかに残すだけでも、
2番目の写真のように、翌朝、蓋を開けると、もうもうと湯気が立ち上ります。
丁寧にかき混ぜて炊き上げると、写真のように、黒々とした美しいひじきになります。


島のひじきは、このように、柔らかく炊き上げてから天日干しするので、
水戻しだけで、加熱せずに食べられるので(スーパーのひじきは炊いてないので
水戻し後、加熱調理が必要です)、とても人気があり、
毎年6月には、その年のひじきが完売します。

ひじきの釜炊きは、生木を使うので(長時間火持ちさせるため)、
煙いのがなかなか辛いですが、とてもやりがいがあり、
面白いです。1人になって2日目までは、やや硬めの仕上がりでしたが、
ベテランのおばちゃんにコツを教えていただき、
3日目からは、とても柔らかく炊けるようになりました。

何よりうれしかったのは、ひじきの加工場のおばちゃんたちが、
私が炊いたひじきを、とてもきれいで柔らかい、これなら欲しい、と
買って帰ってくれたことです。おばちゃんたちは、干す前の釜揚げのひじきを、
野菜や果物と和えて、サラダや酢の物にします。

ひじきも時期的にはそろそ終わりなので、
今頃のひじきがこんなにきれいなのかと、
島の人も時々見に来ては感心してくださるので、
とても誇らしい気持ちになります。

季節労働は土日などの休日がなく、きついと言えばきついですが、
その時期が終われば、畑や山など、自分の好きなことができます。
この潮の合間に、畑の種まきやジャガイモの土寄せをして、
次の潮でひじきは終了し(たぶん)、その後はびわの袋かけをする予定です。
かんこちゃんのブログ
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みなさんご存知のことかもしれませんが、すべての原発は、必ず同じ出力の火力発電とセットになっています(バックアップ発電)。

一つは地震や事故などによる緊急停止に切り替えるためと、もう一つは1年に1回、2ヶ月間の定期点検に備えるためです。だから、原発がすべて止まっても、全く問題が起こらないわけです。

私が驚いたのは、ここからです(発電に関わっている人には当たり前すぎるぐらいのことらしいですが、私は全く知りませんでした)。

実は、太陽光でも、風力でも、自然エネルギーと呼ばれるものは、自家発電でないかぎり、つまり既存の送電線を使う限り、必ず、そのためのバックアップ発電が、それ専用に必要になるのです。それは、自然エネルギーが、たとえば日照や風の強弱などで不安定で、ゆらぎのある、電気としては質の悪いものであるために、そのまま使うことができず(工場の機械や、家庭の冷蔵庫が付いたり消えたりしては困りますよね?)、安定した火力発電で調整する必要があるのです。

ソーラーパネルを付けている方は、お気づきでしょうが、ものすごく天気のいい日には、発電量が大きくなりすぎて既存の電力網を不安定にするので、その電力をカットするそうです(風力なども同じ)。

自宅で使って余った電気を「電力会社に売っている」と思っている人は多いと思いますが、余った分はほとんど送電中に消滅、買っているのは電力会社ではなく、私たち消費者です(電気料金に上乗せされていますよね)。

しかも、これまでの火力発電が、自然エネルギーの分減るわけではなく、あらたに、自然エネルギーのための出力調整のバックアップ発電が必要になってしまうのです。

だから、残念なことに、自然エネルギーによる発電を増やせば増やすほど、火力発電所が必要になってくるわけです。

最近、原発を止めているから、という大義名分で増設している火力発電所は、まさにこれではないでしょうか。もともと原発の「代わり」は要らないはずですから。


風力発電の普及が進んでいるヨーロッパでも、化石燃料の消費量を全く減らせていない統計が出ています。不安定な出力の補完のための火力発電が必要になり、二酸化炭素の排出削減にはつながらない上、化石燃料の消費増をもたらす、と結論しています(2008.フランス持続可能な環境連盟 FED)。

シュピーゲル誌は、「太陽光発電はドイツ環境政策の歴史の中で、最も高価な誤りになる可能性がある」と指摘しています(2012.1.18)。

みなさんもよくご存知の通り、国は経済を回すことが第一で、残念ながら、自然エネルギーも、原発同様、お金を生み出すための国家戦略、「国策」として進めているのです。そして、「原発の代わりに自然エネルギーを」という善良な市民の善意を利用して、さらなる大量消費を当て込んでいるのです。

電気料金の一部として、電気利用者から否応なしに徴収した莫大なお金が、経済を一時的に回すために使われ、ソーラー発電や風力発電が増えれば増えるほど、大量生産・大量消費・大量廃棄が加速され、地球に取り返しの付かない影響を与えてしまうことになります。

だから今、私たちは、原発の代わりの「何か」を探すのではなく、今使っている電気を減らすだけで、自然エネルギーを導入するよりも、持続可能な社会に近づくのです。

もちろん、廃物利用などで自家発電し、それで発電している時間だけ電気を使うなら、もっと素晴らしいでしょう(たとえば、小水力による自家発電など)。

さらに言うなら、プラスチックなどの石油製品を使わないようにしていくことも、
私たちにできる大きなことでしょう(発電よりもプラスチックに使われるほうが多い)。


そのほか、山口県内でも、風車を山頂に何十本か建てた後、伏流水(山からの栄養豊かな水が、海の中で湧き出る、ちょうど私たちの島と同じような自然環境)に泥が入って海が濁り、藻場が消えてしまったところがあります。風力発電の設置業者は「発電しなくてもいいんです、建設さえすれば補助金がいただけますから」と言います。

みなさんもぜひ、いろいろな現場の方の話を聴いたり、調べたりしてみてください。私たちは、島を食い物にされないために、本当に、みんなで勉強しています。