地獄の苦しみが続いていく視線恐怖症の体験談です

 


はじめは自己視線恐怖症からはじまった

脇見恐怖症が席替えを気に一気に激悪化するまえから、ちょくちょくその場限りで、自己視線恐怖というものが起きていました。
電車で登校していたのですが、乗り換えして別の電車のホームに階段を上がっていったら、なぜか僕のことを気にしているサラリーマンがいた。
なぜ僕に意識を向けて気にしているのかわからなかったが、それが重い重い視線への緊張の始まりだったと思う。

それはもしかしたら僕の自己視線恐怖がいつのまにか起こっていて、そのサラリーマンのおっさんにたいして、何か気にさせてしまうものを起こさせていたのかもしれない。
僕は落ち着かなかった。必ずそいつがホームにいたのだ。もしかしたら、その人が他社視線恐怖だったのかもしれないし、理由はわからない。
だが、僕の自己視線恐怖が芽生えてしまったのは確かだった。


時々脇見恐怖症があった

脇見恐怖症も、その場限りで起きていた。
クラスの席は、当時一番前で、左右に挟まれていた位置だった。後年そのような座席位置は死んでも座りたくない場所だったが、まだ僕は視線恐怖、脇見恐怖じゃなかったから、平気だったし、友達が隣りにいたから、嫌な気分もなかったと思う。

しかし、なぜか異様に隣が気になることがあった。もうこのころから、恒常的ではないにしても、脇見恐怖症の全長パターンには入っていたのだと思う。理由はわからないけれど、視線が左に引っ張られ、気にしないようにしても不可能だった。しかし翌日、そんな脇見恐怖症のとらわれはなくなっていたのだけど、その時僕はいらだちを覚えたし、不安な何か異様な落ち着かなさを感じていた。


自己視線恐怖、脇見恐怖で苛立つ

家族にも起きた。それは脇見恐怖症のどん底に突き落とされる前の夏休みだった。
田舎に行った僕は、テーブルで家族と向い合せで座っていたけれど、なぜか視線が前方に引っ張られる。
いわゆる対面恐怖が起きていたのだと思う。

何故そうなるのかわからなかったけれど、本当にイライラした。自分に? 相手に? それはわからなかったけれど、すでに視線恐怖の暴走は始まっていた。
だが、それも別の時にはまったく起きなかった。

単発だったが、脇見恐怖で隣がまた異常に気になって、イライラしてしまったこともあった。
気になったら最後、自分の意志で抑えることができないから、腹が立ったし、ムカついた。
視線の暴走は、破滅の席替え以前にも起きていたのだ。

もしかしたら、そこで何か熱中するものがあれば、単発で視線恐怖は終わっていたのかもしれないけれど、人からよく思われよう、嫌われないように注意しようとばかり考えていた僕に、どん底の視線恐怖となるのは時間の問題だった。


そして運命の席替えで、最悪の脇見恐怖症人間に

席替えで、一気に両隣に挟まれた僕は、脇見恐怖症になった。それ以来、恒常的に覚えるようになった。つねに意識し、恐怖し、苛立ち、自分が情けなくなり、怯え、打ちのめされ、心の傷を深く抉られ続けた。

もう常に脇見が気になる。視界に入ったものに対して、自動的に病的に神経が全力投入される。見たくもないのに、意識したくないのに、気にしないようにしようとしたらもう、気になり続けて、視線の威力が周りを焼きつくすかのようだった。そして怯えたボロボロの神経で疲労困憊になって、死んだ人間のようになっていった。


正視恐怖症に

正視恐怖症にもほど無くなった。親と目を見て話すことができなくなった。もちろん友達ともできなくなった。自分の視線の威力が、相手をこわばらせるほどのものだとわかったからだ。
自己視線恐怖症だったから、人の目を見て話すことができなくなったのは当たり前なのかもしれなけれど、それまでは僕は何の気兼ねなく人の目を見て話せていた。いやずっと視線恐怖症、正視恐怖になってからは、健全だった時の僕がどう人と話していたかすら記憶から遠のいた。

それぐらい、つらい重苦しい記憶が、僕の良かった頃の記憶すら上書きしてしまったのだ。
正視恐怖だから、人とまともに話せない。人から変に思われるし、そんな自分が申し訳ないし、後ろめたい。でも人の目を見ることが恐怖でたまらなかった。人が離れていく、絶対迷惑すると思った。
それならば、人と目を話さないほうがいい。そうなると、コミュニケーション能力もなくなっていくし、さらに人を避け、視線が恐怖になり、対人恐怖も増していくだけ。でも、それしか対策しようがなかった。

僕は自分の視線が怪物のようなものだと感じていた。


ついに他者視線恐怖症に

僕は人並みに目立ちたい、注目されたいという気持ちがあった。
すごくあったわけじゃないし、シャイな方だったけれど、注目されるのが嫌なわけじゃなかったし、褒めそやされたいと思っていた。
しかし、いままで自己視線恐怖と脇見恐怖と正視恐怖だけに、意識がかかっていたのが、ついに人からどう見られるか、人から見られたら嫌だ、ムカつく、不安になる、緊張するという他者視線恐怖症もひどくなっていった。

どんどん悪化し歯止めがきかなかった。そうなると、もっと人や人が集まるところを避けなくちゃいけないし、ヘトヘトに疲れ果ててしまった。
緊張で神経をすり減らし、もう死にたくなった。
僕から安全に安心して住める世界が奪われてしまったのだった。僕は運命を呪った。なぜ僕だけがこんな苦しい目に合わなくちゃいけないんだ!

僕は自分の可能性を信じていた。僕はもっとできる人間だ、やれる人間だと思っていた。しかし、視線恐怖症のせいで、すべてが悪夢に一変した。
能力を発揮できず、ボロボロになって朽ち果てていくしかない。くやしかった、ムカついた、しかし現実は何をやっても難しかった。挙動不審になり、どんなにあがいても、気になったら最後、神経が暴走するだけ。/p>

視線恐怖症は生き地獄、そして未来もない

そんな僕でも視線恐怖症を克服できました。
同じ境遇になる人は絶対に希望を捨てないで欲しいです!