続きモノのラストになります。
→僕が「さいとう元彦」候補を応援する理由②~事実関係と政策と天然さ~
もし斎藤さんが、鬼のパワハラ知事だったとして。
もし斎藤さんが、特定の個人を追い詰めて死に追いやるような悪人だったとして。
もし斎藤さんが、知事の椅子にしがみつきたいだけの人だったとして。
数ヶ月間の偏向報道とメディアリンチ、SNSでの誹謗中傷をあれだけ受けていたら、立候補なんて絶対にしないと思います。
(少なくとも僕ならキレて全部暴露して辞めます)
ひとりで立ち上がる男には、それだけの信念と哲学、政治家としての矜持があるものだと僕は考えます。
・・・
最近このBlogを訪れてくださっている方の中には、僕がどんな人なのかをあまり知らない方も多いと思うので、簡単に自己紹介をさせていただきます。
(「そんなんいらんわ!」って方はすっ飛ばしても「大丈夫」ですw)
川村与志人(かわむらよしと)という名前は「志を与えられた人、願わくはその志を皆で分かち合える人」という願いを込めて、両親から授かりました。
今はその志を「志政が市政を変える。」という旗印の下で、西宮の政治に捧げています。
平成23年(2011年)に26歳で初当選、現在4期目14年目の40歳、ベンチプレス150㎏のSASUKEに出場経験のある、日本全国に数万人いる地方議員の中でも割と普通によくいる地方議員だと思います。
「教育と福祉のための行財政改革」を政策的な柱としています。
26歳で初出馬・初当選だと勘違いされることも多いんですが、実は25歳の時に行なわれた西宮市長選挙とセットで実施された西宮市議の補欠選挙(欠員補充のための選挙)で落選し、通帳残高800円になった経験があります。
実は、この時の出来事が今回「さいとう元彦」候補を支援する原体験になっています。
学生時代にお世話になっていた西宮市議からの打診を受けて、会社を辞めて政治活動を開始。
もともと予定していた統一地方選挙よりも11ヶ月早く実施された選挙に出馬したものの落選。
この時、平成22年(2010年)5月16日でしたが、この市議をはじめ多くの友達が去り、ひとりぼっちから活動を再開することになりました。
とにかく生活を立て直して選挙資金を貯めなくてはいけません。
学生時代は西宮北口に本社のある浜学園という塾の国語科で男子最難関コース(メインは灘・大阪星光コース)を担当していたので、その経験を活かして夏期講習の時期からは家庭教師や塾・予備校講師の仕事をメインで週9日・1日50時間働きました。
それまでの約3ヶ月は日雇いのバイトで食いつなぎました。
ようやく活動を再開できたのは秋頃ですが、平日の朝の駅で2時間チラシを配ってから仕事に行き、帰ってきてから夜の駅でチラシを配った後に帰宅。Blogや原稿を書いて就寝。4時間半寝て家を出る。土日はポスティングをしたりチラシに連絡をくれた方とお会いしたり…というような生活を約半年間繰り返しました。
その時の僕は、とにかく怒りをはじめとする負の感情に支配されていました。
「僕の落選を笑ったヤツを全員見返してやる」「裏切ったヤツは全員殺すくらいの勢いでやってやる」
その時の僕の表情は、それはそれは醜かったと思います。
活動を始めると、友人の弟を通じて大学生ボランティアが集まってくれました。
彼らと活動をするにつれて、応援してくれる人も増えてきました。
気が付けば、僕はひとりぼっちではありませんでした。
「僕が西宮市をもっと良いまちにしていくんだ」「みんなが選挙に行きたくなるような政治を僕が実現するんだ」
みんなが僕の負のエネルギーをかき消して、プラスのチカラに変えてくれました。
僕はもう、醜い男ではありませんでした。
11人の大学生と3235人の西宮市民の皆さんが、ただのチラシ配りの青年を、西宮市議会議員にしてくれました。
26歳の時でした。
・・・
斎藤さんとは規模も次元も当時の年齢も歩んできた経歴も違いますが、多くの人が離れてしまってから、ひとりぼっちで政治活動をスタートさせた。
この点は僕も共通していますし、少なからずその辺の地方議員よりも気持ちは分かるつもりです。
25歳に戻って、もう1回同じことをやれと言われたら確実にムリ(笑)
それくらい厳しく苦しい戦いでした。
そして、そのイバラの道を進む過酷さや決意は並大抵のものではないはずです。
諦めた方が確実に楽ですし、兵庫県や日本のために命を削るよりも大切な家族や友人と楽しく過ごすために政治以外の仕事をする方が幸せなのではないかとも感じます。
でも、斎藤さんは諦めなかった。
そこには、多くを語ることはないけれど、相応の理由があると思うのです。
僕は斎藤さんを信じたいし、僕にはよりリアルに斎藤さんを信じられるだけの原体験がありました。
・・・
…とは言え、前回のBlogの通り関係は薄々でしたので、会派である啓誠会に説明だけして何かしようかなくらいの気持ちでした。
ちなみに啓誠会は、自民党3名・無所属2名(僕と松本議員)で、元々あった自民党会派を解散してもらって僕と松本議員主導で結成した新会派です。
そうしている間に、後輩の森議員(維新で当選したけどいろいろあって今は無所属)が斎藤さん支持を表明。
ひとりぼっちの人に、ひとりぼっちの後輩が手伝いに行くという形になりました。
でもまぁ、森くんはその時は維新にも片足残している状態に見えたので「会派の調整をつけるから、やれることがあったら手伝うよ」とだけ連絡しました。
当時の斎藤さんは大バッシングの最中だったので、会派には難色を示されるかと思いきやすんなりOKでした。
何なら自民党議員なのに「もう別に自民党に未練もないからワシもやるわ!」と言ってくれる人もいました(笑)
斎藤さんからも電話があっていろいろと話をしました。
その時に、腹を括ってガッツリやることに決めました。
ただ、この時は森君も維新っぽい感じだったので、僕は完全無所属議員を募って独自に活動を展開することにしました。
まずは後輩の松本議員に声をかけました。
松本くんは、僕が4期目の選挙に出馬せずに引退して後継のつもりで西宮市議会にリクルーティングした大学の後輩です。
学生時代から僕のBlog等を見てくれていたところ、バスケと共通の知人を通じて知り合いました。
一流企業に勤めていて家族もいるところを、変なブラック企業(市議会)への転職を勧めてしまったわけです(笑)
そのあたりの事は選挙後に書いてましたね。
彼は斎藤さんの支援をふたつ返事でOKしてくれました。
ぶっちゃけ、逆風過ぎてビビってやってくれないかと思ってました(笑)
(松本くん、ホンマにごめんw)
むしろ最初に発信したポストやBlogは僕よりも踏み込んだギンギンの内容だった気がします。
その後、松本くんもOKだったし、他の無所属西宮市議や県内の地方議員にも声をかければ結構やれるぜ!
…と思って各方面に声をかけましたが、あえなく撃沈することになります。
・・・
独自に動いていたけれど、早めに選挙対策本部(選対)に合流した方がいいよなと思っていたものの、森くんのことをそこまで信用していませんでした(笑)
(森くんホンマにごめんw)
僕「維新に片足入れたままとかダサいし、スパイかもって思って信用できない部分もあるのが本音だわ!」
(数時間後)
森くん「三木さん(兵庫7区の維新支部長)に言いたいこと全部言いました!そしたらSNSのフォローも外されたし、ホンマにひとりになっちゃいました!(笑)」
僕(そこまでやれとは言ってないんだけどな…)
維新で当選した年下の議員がそこまでやったのなら、いよいよ本格的にみんなでやろうという動きを作るのが僕の役割なんだろうなと感じました。
斎藤さんからしても組織が一枚岩の方が助かるでしょうし、表立って支持表明している議員は全員選対に合流ということで決定。
この時、僕が知らないだけで実は結構いるんじゃないかなワクワクとか思いながらオンラインMTGに参加したら、僕と松本くんと森くん以外の議員は、姫路市議の高見議員だけでした。
兵庫県内に約950人いる地方議員の中でたったの4名です(笑)
やる前から泥船濃厚だなと思ってしまいました。
(森くんや松本くんと「転ぶときは前のめりや!」とか言いながら飲んでいたのもまた良い思い出w)
一方で、選対にはセンスのいいデザイナーの方もいるし、我々議員が公務でいない中でも張り付きで頑張ってくれているスタッフさんもいるし、戦えるギリギリの組織づくりはできていたのはありがたかったです。
そこから、我々議員は地元でできる限りの活動を進めて選挙戦を迎えるわけですが、そこから大きく風向きが変わってきました。
「川村さん、斎藤さんの選挙なんですけどやっぱり僕も地方議員としてできることはやりたいです。何ができますか?」
「遊びにおいでって言ってくれたからホントに来ちゃったよ(笑)」
という現職議員、元議員から続々と支援表明の連絡が届くようになったのです。
現場がバタバタで写真を撮り忘れた方もいますが、完全にドラゴンクエストかファイナルファンタジーみたいな流れです。
斎藤さんはとっくに、ひとりぼっちではなくなっていました。
写真や動画の表情の違いを見ても一目瞭然。
僕のような怒りというよりは、哀しみや絶望といった負のエネルギーからのスタートだったのかもしれませんが、今はもう完全にプラスのエネルギーに変わっています。
こうして、たくさんの議員が応援弁士をするとかではなく、現場の警備等の仕事を買って出て選挙戦を進めています!
・・・
今のところ、状況が厳しいのは間違いないです。
こんなに街頭演説が盛り上がっていても、このままだとフツーに負けます。
「私は斎藤さんに投票したもんね!」ではなく、今までやったことのない1歩先、2歩先までの行動がなければ勝ちに届きません。
それくらい、対立候補を支援する組織的な基盤は強固なんです。
投票率が40点、50点では、我々の望む結果は得られません。
兵庫県の、そしてこれからの日本のために100点に限りなく近い点数で明日の選挙を迎えられるように、このBlogをここまで読んでくださった皆さん、ご家族やお友達に「さいとう元彦」候補の応援依頼をSNSや電話連絡等で呼びかけてください!
あ、最後に注意です。
投票用紙には「さいとう元彦」とだけ書いてくださいね!
「さいとう元彦がんばれ!」「さいとう元彦♡」とかは無効票になってしまいます(笑)
さぁ、みんなで勝ちにいきましょう!
・・・
過去にも何度か言っていますが、前回の市議選には出ずに引退するつもりだったんです。
西宮は優秀な若手も多いし、僕は役割を終えたかな…と。
転職サイトにも登録してました(笑)
ですが、今回の兵庫県知事選で議員として斎藤さんを応援するように導かれていたような気がしています。
選挙前の僕のBlog更新はこれで最後です。
それでは、今日はこのへんで。
ありがとうございました!
川村よしと