遂に8月になりました(15日超えて中旬です。)

ここで前半を振り返ります。

1日に早稲田大学オープンキャンパスの後に京王プラザホテルでアントニオ猪木ポップアップショップ店を鑑賞してそして、9日に向けてレジェンド達と記念撮影する為に整理券を取れました。

やっぱこの前のドリーファンクさんが亡くなったのあったのとこの所レジェンド関連行ってる理由あります。

00年代からプロレスを見始めてから20年以上が経ちある時、03年に冬木弘道さんが大腸癌で亡くなったり05年に橋本真也さんが亡くなったり08年に三沢光晴さんがプロレスの事故で亡くなるニュースがあったりで新聞記事で読みました。

そして、14年か15年にミルマスカラスを見たくてまたプロレスファンの情熱を蘇るような形になります。

16年に試合中事故で頚椎損傷して手足自由に動けなくて最後まで車椅子生活送ってたハヤブサさんが亡くなった時に15年にサイン貰ったり記念撮影した時が最初で最後の一枚でした。


ちょっと一旦中断して本題に入ります。

京王プラザホテルで猪木VSアリ展50周年鑑賞しました。

世界一決定戦TV調印式記者会見を再現するかのように見てきています。

これぞタイムスリップになります。



アントニオ猪木引退試合の時にモハメドアリが花束渡したシーンの写真展示しています。

76年の格闘技世界一決定戦のポスターがあります。


アントニオ猪木さんが1970年代実使用リングシューズが展示しています。


モハメドアリ実用ガウンも展示しています。


アントニオ猪木VSアリ50周年展パネルとアントニオ猪木さんの等身大を見ました。


自分の中でレジェンドと記念撮影がメインでした

左から藤波辰爾選手と藤原喜明選手と前田日明さんです。

記念撮影出来た事で嬉しくなって夢が実現しました。


そして、その日の紀尾井町に移動して

バーニングVS聖鬼軍

聖鬼軍の田上明さんと川田利明さんを観れました。

自分の中で田上明さんは、NOAHの時から観てたし社長業も経験して現在牛久市でステーキ居酒屋チャンプの経営者として活動しています。

そして、川田利明さんは、00年代に新日本VS全日本の時に佐々木健介戦を観て感動してそこからプロレスファンになったきっかけを作りました。

02年に右膝靱帯断裂から1年間の長期休場して03年4月に川田利明&渕正信VS武藤敬司&小島聡で復帰戦を現地で観戦した事でここからまた観れる思いがあります。

復帰してからZERO-ONEと対抗戦の時に故橋本真也さんや小川直也さんとの対抗でプロレスに刺激を残してから9月に空位(前王者橋本真也さんが右肩を負傷で返上)となった大谷晋二郎戦で三冠ヘビー級王者君臨したの観ました。

それ以降、04年2月に三冠ヘビー級選手権で挑戦者橋本真也戦で完全決着の瞬間で全日本プロレスのエースが勝った時に最高潮でした。

05年2月まで小島聡戦で流出するまで最多防衛記録10度目でした。

その次の日に川田利明さんが石狩太一(タイチ選手)と共に全日本プロレス退団までが刺激を残してくれました。

それ以降、無所属の道となりテレビなど見て

7月にプロレスリングNOAH東京ドームでライバル故三沢光晴さんと最後のシングルマッチ

新日本プロレス参戦の時にG1クライマックスで鈴木みのる戦が1番印象に残りました。

準決勝で藤田和之戦でデンジャラスな戦いです。

06年に古巣全日本プロレス参戦して三冠ヘビー級で王者太陽ケア戦挑戦したら

その時に極悪ユニットVOODOO-MURDERSが侵略して世界タッグリーグ戦で武藤敬司さんと組んでました。

07年1月新日本VS全日本参戦中邑真輔戦

2月に太陽ケアさんと組んで世界タッグ王者になりました。

4月にチャンピオンカーニバル参戦して鈴木みのる戦で05年G1の公式戦の再戦など激闘繰り広げましたが決勝戦で武藤敬司戦に敗れ準優勝です。

8月に世界タッグ選手権で小島聡&TARU戦に敗れ流出しました。

09年の三沢光晴追悼興行で田上明さんと組んで最後の聖鬼軍です。

それが最後で見た試合は、以上です。

15年ぐらいにタイチ選手の活躍をみたらまた川田利明さんを探してたら成城学園前の喜多見で麺ジャラスKの経営者になりお店訪問したら姿変わりましたが声が川田利明さんの面影がありめっちゃ嬉しかったです。

そこからプロレスやらなくても飲食店やトークイベントなどで出てくれれば行きますと決めました。

ちょっと川田利明さんの話で長かったが思い出話でした。

バーニングの秋山準選手と小橋建太さんです。

秋山準選手は、初めて見た時は、01年のZERO-ONE旗揚げ戦、三沢光晴&秋山準VS橋本真也&永田裕志からみて永田裕志選手と対決してから

10月に秋山準&永田裕志VS武藤敬司&馳浩戦で夢の対決であります。

02年1月の新日本プロレス東京ドームでGHCヘビー級選手権で永田裕志戦

小川良成戦まで保持してました。

02年9月に齋藤彰俊さんと組んでGHCタッグ王者に君臨

その後、炎武連夢(大谷晋二郎&田中将斗組)と対決した印象あります。

03年8月にG1クライマックス出場して決勝戦でつい最近引退した天山広吉戦で敗退して準優勝

04年3月白のGHCを設立

06年田上明戦で第9代GHCヘビー級王者に君臨

その後、鈴木みのる戦の激闘で防衛と9月に丸藤正道戦で敗れた時が丸藤選手が覚醒した時代でした。

09年3月に佐々木健介戦でGHCヘビー級に勝利して

3度目の王者君臨

それ以降、11年全日本プロレス参戦してチャンピオンカーニバルで鈴木みのる戦で敗戦した思い出あったら

10月に諏訪魔戦を破り第44代三冠ヘビー級王者に初戴冠

12年の船木誠勝戦まで防衛してました。

そして、年内持ってNOAHを退団します。

13年1月から全日本プロレス参戦でバーニングを決起会(金丸義信選手と鈴木鼓太郎選手とバイク事故で亡くなった青木篤志選手がその年の7月に入団する)

14年に全日本プロレス社長に就任19年まで社長業しながら選手として参戦しました。

現在もDDT参戦も農業などで活動してますがこれからも頑張ってください

小橋建太さんのお話をします。

初めてテレビで見た時は、02年の秋山準&永田裕志VS三沢光晴&小橋建太でした。

一回右膝靱帯損傷から復帰した途端また負傷に追い込んで4ヶ月の欠場

その年の7月に復帰して浅子覚さんの引退試合をテレビで見てました。

03年1月に日本武道館で三沢光晴&蝶野正洋VS小橋建太&田上明組のドリー対決

3月に三沢光晴さんが保持するGHCヘビー級選手権でバーニングハンマー解禁で第6代GHCヘビー級王者君臨力皇猛戦まで保持して13度目の防衛まで観たました。

5月に新日本プロレス東京ドームで蝶野正洋戦で防衛戦

6月に本田多聞選手とタッグ組んでGHCタッグ王者に君臨

9月永田裕志戦4度目の防衛

04年4月高山善廣戦でムーンサルトプレス解禁8度目の防衛

7月NOAH史上初めての東京ドーム大会で秋山準戦

バーニングハンマー9度目の防衛

9月田上明戦リストクラッチバーニングハンマーで10度目の防衛

12月グラジエーター戦ムーンサルトプレス12度目の防衛

05年の1月鈴木みのる戦13度目の防衛に成功

書いた事は、小橋建太さんの防衛の名勝負を観てきたことです。

7月の東京ドーム佐々木健介戦で「剛腕対決」逆水平チョップ対決でお互いの胸が赤く腫れて汗がミストとなって飛ぶ試合初めて観ました。

06年膵臓癌で摘出手術してもうプロレスに戻れない思いがあると思ったら

07年両膝を手術して、その年の12月に復帰しました。

そこから小橋建太さんの地獄が始まりもありずっと応援してました

そして、13年5月小橋建太さんが引退の時です。

小橋建太&秋山準&佐々木健介&武藤敬司VS KENTA&潮崎豪&マイバッハ谷口&金丸義信組

あの引退試合で四天王の現役の世界が終わった瞬間でした。

そんなこんなで22年から現在まで小橋建太さんのトークイベントなど出来る範囲で参加しています。

昔話せなかった事が現在も話せています。

バーニングVS聖鬼軍

秋山準選手と小橋建太と田上明さんと川田利明さんの集合の瞬間です。

今回長々と話しましたがプロレスの話以上です。

経営の話をします。

8月1日から8日まで営業を17時までにしました。

その後、9日から16日までお盆休みで休業してましたが暇は、暇だけど新しい夏季限定のメニューだけでやっていけました。

ちょっと食品ロスしますが少なく限定で出来る限りのこと頑張ります。