JR中央本線の石和温泉駅から歩いて15分ほどのところには、石和陣屋とともに八田家御朱印屋敷があります。駅からほぼまっすぐ南に進めば石和陣屋、東南に進めば八田家御朱印屋敷という位置関係です。八田御朱印公園という公園になっていますので、車でも公園そのものを目印にしていくことができると思います。駐車場も完備です。筆者が訪ねたのは2025年の夏真っ盛りの時期。表門前の水堀には蓮の葉がいっぱい茂っていました。7月くらいに行けばきっと綺麗な蓮の花が咲いているのでしょう。
この表門、明治になって石和陣屋が廃された際に八田家御朱印屋敷へと移築されてきたものだそうです。貴重な移築陣屋門ということになりますね。
八田家御朱印屋敷の八田は屋敷があるあたりの地名ですが、ここに居を構えることを認められた有力者の末木氏が地名を踏まえて八田を名乗ったものでしょう。ただ八田と言えば宇都宮氏の一族で、八田知家を輩出した八田氏が有名であるため、こちらの八田氏もその八田氏の子孫ということになっているのだそうです。筆者には真偽を確かめる術はないのですが、周辺環境的には地名の八田が起源のような気がします。八田氏の直系は常陸国で小田氏として存続していましたし。
氏素性はともかく、石和の八田氏は武士としても商人としても活躍したいわゆる有徳人(お金持ち)だったようで、武田家の年貢徴収の役割を担う役人でもあったようです。そのため武田勝頼から朱印状を拝領していたのですが、武田家滅亡の際に織田軍によって八田家屋敷も焼き討ちされてしまいます。多くの武田遺臣たちがここで転職なり転居なりしてその地位を激変していく中、八田氏は天正壬午の乱を経て甲州の新しい支配者となった徳川家康からも朱印状を拝領し、そのまま八田に残ることに成功しました。それどころか将軍の代替わりごとに御朱印改めを行い、歴代の徳川将軍から朱印状を貰い続けるという、全国的に見ても珍しい「個人」となりました。寺社では多く見られる朱印状ですが、個人で代々拝領するケースは極めて稀なのだそうです。そんな八田家は今も八田家御朱印屋敷の主です。いやもうご立派というしかなく。恐れ入りました。
八田家御朱印屋敷の書院は徳川家康から拝領した用材で建築されたものと伝わります。これまた真偽はさておくとしても、そうした伝承が信じられるに足るだけの風格を持った書院が今も残され、容易に見学できる状態が保たれているのですから貴重です。現在、御朱印屋敷は山梨県史跡、書院は山梨県指定有形文化財ですが、建築年代などがはっきりしたら国史跡、国重文になってもおかしくないくらいの価値を持っているのではないでしょうか。
八田家は大きな屋敷だったようで、今の書院がある一角よりはるかに大きな敷地を囲んでいた土塁が今もしっかり残されています。北辺の土塁が圧巻で、長さは130mほどにもなるでしょうか。甲府盆地には連方屋敷や於曽屋敷など、かつての姿をよく残す平地城館跡が点在しているのですが、書院の見学も可能な八田家御朱印屋敷は群を抜きます。駅からも歩ける場所ですし、何より石和温泉もありますから、温泉旅の散歩かたがた立ち寄られてみてはいかがでしょうか。



