田和山遺跡は弥生時代の環濠です。時代的にお城の範疇なのかと悩みたくなる領域ですが、山頂を取り巻く三重の環濠の最頂部からは柵列が検出され、投石用の自然石が多数見つかっているそうです。更には同時代の環濠と異なり、住居は基本的に環濠の外にあったそうです。つまりこの施設は、居住域自体を外敵から守るのではなく、何らかの象徴的なものを外敵から守るために住居から切り離して構築されたものということになります。これはもう、城でしょうね。

 


田和山遺跡は1997年から数年間、松江市立病院の建設に伴って調査が行われ、その全貌が明らかになりました。全貌が明らかになるにつれその特異性と重要性が明らかになり、病院建設計画を変更して保存が決定され、2001年には国の史跡に指定されました。現在は公園として整備され、一部の建物や柵列なども復元され、遺跡内を遊歩道が巡っています。ただ日当たりが良すぎて草が勢いよく生えるため、維持管理は大変そうです。筆者が訪ねた際にも遊歩道の一部が蔓草で通れなくなっていました。でもまあこれは仕方なさそうです。だって日当たりが良すぎるんだもの。

 

 

田和山遺跡のてっぺんには大きな掘立柱建物がありました。祭祀施設(神社)だったと考えられるようです。外敵からどうしても守りたい神社!旧暦10月(神無月)に全国の神が集い、ここだけは「神在月」となる出雲らしい施設ではありませんか。妄想を爆発させれば、神々が本当に出雲に集った際に、他の神と諍いを起こした神が、他の神からの攻撃を避けるために構築した宿所だったと考えると面白いですよね。年に1回、出雲に行かなければならないという神々の決まりは守りつつも、他の神とは相容れない、性格的に孤立した神(笑)。どこの神だかしりませんが、神々にも人間社会と同じような奴がいたと思えば楽しいではありませんか。誤解を恐れずに言えば、神は人間の思念から生まれたものなので、神が人間に似ているのはむしろ当然のことかもしれませんが・・・あ、いたな。有名な神が。スサノオかー!

 

 

お城を作るには最適とも思える丘の上に、武士の時代を通じて一度も手が入らなかったのは奇跡に近いと思いますが、発掘で出てきた遺構は純粋に弥生時代なのだそうです。もともと一重だった堀がやがて三重に強化されたという過程も、発掘で明らかになっているそうです。数百年にわたる歴史を保ちながら、弥生時代に消滅してそのまま残された田和山遺跡。破壊されなくて本当によかったです。最頂部のベンチでは、初老の御婦人がおふたり、仲良くお弁当を食べていました。宍道湖を臨む、最頂部からの景色は抜群なので、お散歩コースとして日常的に活用されているのだと思います。ここをお散歩できる皆様がうらやましい・・・。