広末涼子が気になる。
ヒロスエブームのころは、その人気の理由がまったく分からなかった。
当時の一部の男子の熱狂的はまり方には、まるで理解できなかった女子は多い。
しかし彼女が年齢を重ねた今ごろになってテレビに映る清楚な感じと大人の女性としてその良さが分かってきたところだった。
そこであの第一報。
だまされた感と、やっぱり噂になっていた裏?表?の面もあったかという想いがあった。
最近の母としてのコメントやエッセイや、夫を愛しています発言とか、
その完璧アピールは、過去の奔放話からほど遠くて少々違和感と鼻についた。
ニーチェとか哲学の話とか彼女の書いたものから読む気もしなかった。私のイメージする彼女のキャラじゃなかったから。
今回は衝撃ではあったけれどやっぱりヒロスエというところで、生き物として一周回って目が離せなくなった。
彼女は地方の学校にいる愛情深い中流家庭ですくすく育った普通の子の顔をしている(普通にいそうでいないんだろうけれど)。
そんな人が芸能界という特殊なところに入ったらそれはストレスなのかもしれない。
マツコデラックスがずいぶん昔に書いていたエッセイ「世迷いごと」で広末涼子について的を射たことを書いていたのを思い出し読み返した。
マツコ曰く、世の中は広末涼子の生きざまをみたいんだと。まさにそうだ。
あれだけ、普通のいい子ちゃんのイメージ、良き母のイメージ、優等生キャラの姿を世に見せてきた人が、これまでのイメージをどう崩していくのか、人間の業をあの清涼感をキープしたまま表現していくのだろうか。
彼女なりの言い分もあるんだろう。
涼子ちゃん心配。
でもきっと強い人。
家族がいるから。
2兎、3兎、追えるパワーと器の大きさがあるのだろうから、今を乗り越えてまた世の中の人に、あっぱれヒロスエ、やっぱり大したものだわと思わせてもらいたい。
私もマツコと同じく、これからの彼女の生きざまを見守りたい。