冬の繁忙期からまだ抜け出せず、気持ちも忙しく自分の人生のバランスを欠いていた。
年俸は上がらず。あんなに忙しかったのに。。
5/1, 2は有給休暇をとり、GWの半分は実家に帰った。
予定は地元の県内の上り下りが少々危険とされている神社に初めて行くこと。
正月の帰省の際の駅で別れ際に、親に言った。
「今度帰ってきたら、あの神社に行く」
「行くな」父親がまさかの反対。家で話したとき、「連れてったるわ」と言ってたはずが。
唖然とする私に「行くな、行くな」母親が意味も分からず賛成。
私のやろうとすることは全て反射的に反対する。意味もなく。いつもそう。
それは私が女だからだろう。
昭和世代はおおかたの女性が親のそれに従ってきただろう。
私は自分の行動を根拠のない反対で規制されるのを心底嫌う。
根拠を追及すると答えることができない。ただ相手を抑圧したい、制限したい、そこに心配している気持ちも含まれているかもしれないが、窮屈でしかない。
GW前に父から帰ってくるか確認の電話。
そのときに、私のもやもやを伝える。
「神社に行ったらいい」
意味が分からない。
母と電話のときに神社の件を伝えるも覚えていない。意味も考えずに父に付随しているからだ。
私の人生は小さな親の反対が積み重なって生まれている。
反抗してでた行動もその一つ。結婚していないのもその一つだろう。
二人は気づいているだろうか。
ひとまず、私の違和感は伝えたところ、後日LINEで神社には弟が連れて行ってくれることになったという。
家族で行くことに。今更だが、反対していた神社になぜ家族で行くことになったか意味が分からない。
少しのストレスと、数巡年ぶりの家族4人での外出に心が躍っているのを感じつつ帰省した。
実家についた翌日に神社に行くことになった。
2時間かけてたどり着く。
向かったのは神倉神社。いろんな人のブログで石段を登るのが怖いが絶景と言われている神社だった。
福山雅治やキムタク、江原さんもきたという。そんなこと知ったら行かずにはいられない。
険しい岩を敷き詰めた階段。富士登山の吉田ルートの一部崖を上るような箇所があったところをイメージしていたが、そのとおりだった。途中で脚がすくむ。命の危険を少し感じた。
母は数十歩上ったところで、断念して降りることになった。
弟は一番後ろにいた。彼なりの優しさであった。
母が数十段登ったところで降りることになり、弟は私と父を追い抜いてどんどん登って行った。
ようやく追いつく私。
お社までの階段は絶景ながら高いところにあり少々怖かった。
その右横の祠こそ龍がいる場所とYOUTUBEで観て行きたかったれど、
道もなく岩の上で雨が少し降って滑るのもあり、また参拝者の誰も行こうとせず、父も弟もそそくさと下山しようとして祠に行きたがる私の行動を反対し、いつも通りせかすので、祠の写真だけを下から撮って降りた。
家族と行くのは声をかけあえるのでいい点もあるが自分のペースはまったく乱されるので
今度は一人でチャレンジしたいと思った。
帰りの途中に、昼食のお店をスマホで検索すると、うなぎ「鹿六」(創業100年らしい)がでた。
いったん、走りだしてた車を神社のほうに引き返し、「鹿六」を目指す。
父が友人と参拝に来たときも、そこのうなぎを食べたことを思い出す。
鹿六のお店は4人と伝えると、2階の座敷に通された。家族で外食は何年ぶりだったか。
うなぎは炭で焼かれていて、炊き立てのご飯で今更家族の会話はないが、やはり美味しかった。