生贄祭祀の起源(その5) | 古代遺跡・クンクン紀行

古代遺跡・クンクン紀行

人間の皮をかぶった城山流三。その正体は野良犬。鋭い嗅覚で 鼻をクンクンさせながら古代遺跡を彷徨しています(「9月出版「数霊の翼」は本題に改題しました)

旧約聖書を読むと、いろいろな名前(当然カタカナ)が出てきて、頭がこんがらがります。

 ( アブラハムの子がイサク、イサクの子がヤコブ、ヤコブの子がヨセフ・・・)

 

創世記は、神が天地を創造し、イスラエル人が エジプトで生活するまでの物語です。

一体 何千年の時間なのかは、わかりませんが、この物語は、人が ことあるごとに神に背くものの、、神は施しを与えて、人間の成長を見守る 展開が続きます。

 

 さて、前号では、アブラハムがモリヤの山で イサクを 生贄にしようとしたお話をしました。

しかし、これが、日本の あるお祭りと似ているとは、どこのお祭りでしょうか。

 

●ヒント1: 生贄のイサクは、後ろ手に縛られています。

     2: アブラハムが イサクを 短剣を振り上げて、殺そうとすると 天使が 「待て」と

        止めに入ります。

     3:その後、羊が 角を薮でひっかけて動けなくなったので、イサクの代わりにその羊を

      生贄にして、アブラハムは神に捧げます。

      4:この生贄の場面は、モリヤの山頂です。

【答え】

    諏訪大社の上社の御頭祭りです。

なぜならば、このお祭りは

     ①:神前で、神の使いである 童子は、後ろ手に縛られています。

     ②:神官が、短剣を振り上げて 童子を刺そうとすると、別の神官が 「それまで」

       と、声をかけて、止めに入るのです。 

     ③:神前に捧げられる 一頭の鹿の片耳が裂けているのです。(「耳裂鹿」といわれる)

 

     ④:諏訪大社上社の本宮は 本殿がありません。拝殿しかないのです。

      その本殿は、裏の山なのです。その山の名前は守矢山。

 

補足のご説明をしますと、

①と②は、江戸時代の菅江真澄の記録が残っているのです。(1784年)

③は、現在でも、捧げられる鹿の耳は裂けています。これは羊の角が薮に引っかかっている姿を 鹿の耳が 避けたという形で  再現していると考えられます。(日本には、羊がいませんんで)

   ↓  「耳裂鹿」(右側の耳が 一部裂けていることが 影でわかる)

 

 

④は、モリヤの山と名前が同じです。諏訪大社上社の神官が守矢氏。

 

← この建物が 神長官守矢資料館。

 

 ← 守矢氏の御屋敷。瓦にご注目(十字架?)

 

    聖書の「モリヤ」の 山と、諏訪大社の「守矢」山。

   この「モリヤ」 が同じということに対して 皆様はどう思われますか?

 

管理人は、旧約聖書・創世記の 生贄の物語が、諏訪に伝わり、この御頭祭りで 再現されたと

考えています。

 

 

そうそう、大切なことを 付け忘れていました。

  江戸時代の記録では 御頭祭りで 捧げられた獣の数は 75頭 だったのです。

 

この「75」という数字。 ご記憶ありますか?

 

 そうです。

 徳島県 白人神社の宮人の人数(75人)、

徳島県の神社などに残る 神事 神饌 75膳。

金屋子神社の伝承(75人の童子)

  と一致するのです。

  

 

 この75とはどういう数なのでしょうか。

 

 

今日はここまで

 ワンワンワン!!