昨年の今頃から少しづつ痩せ始めた疾風君のお話です。
疾風君は2017年12月16日に痩せ細ってうずくまっている所を保護しました。
夕方に病院に駆け込み、検査をしてもらうと、白血病でした。
体重も2.9キロ、後ろ足に発達障害(成長時期に栄養を取れなかったため)
点滴を打ち様子を見ることになりました。
(野良猫時代の疾風君 体重は3キロあるかないか)
保護して2日目の疾風君。
毛艶もかなり悪く、元気もなく、そのまま逝ってしまうんじゃないかと思いました。
1月9日に病院に再検査があるのでとにかくそれまでに元気になってくれればと願うばかりでした。
年が明けて検査に行くと、体重がなんと3週間で4.6キロまで増えていました。
初めは下痢がひどく心配していたのですが、食べに食べさせかなり元気にはなっていました。
その日に去勢手術も済ませ、後は白血病がどうなるか・・・・
お医者さんが言うには、これから3ヶ月で骨髄までウイルスが到達したら慢性の白血病。
疾風が勝つかウイルスが勝つかの勝負でした。
結局、3ヶ月後には医者に行かず、行ったのは8月末日。
そして検査の結果、陰転(陽性から陰性)との結果。
思わず万歳をしたのが懐かしいです。
先生も陰転にはびっくりしていました。
(2024年1月上旬)
それから6年近く、たまに体調が悪い時もありましたけど、
毎日、朝にはミッケを追いかけ、どんどん増えていく保護猫とも喧嘩をすることも殆どなく
過ごしていました。
(2020年1月30日)
疾風君はニャーとは全く鳴かないので(ブラッシングをした時にヒャンヒャンと小さく鳴くだけ)
静かな猫でした。
(2022年7月1日)
今年の春に体調がすぐれない日が続きました。
歯周病の影響もあったんだと思います。
元々ドライフードしか食べない疾風君がその量も減ってきました。
(2024年3月24日)
(2024年3月24日)
でもうんちをした後も元気そうに走り回ってはいました。
猫は体調が悪くてもそれを見せないように行動します。
8月に入ると、もうドライフードは殆ど食べなくなってしまったので
仕方なくチュール系を1日4本から6本与えるようになりました。
たまに疾風君の好きなドライフードは10粒ぐらいは食べていました。
9月も半ばになるとチュール系もイヤイヤするようになり、
体重も3キロぐらいになってしまったので、
9月19日に病院に連れて行きました。
血液検査を受けました。
結果は腎臓が結構弱っているとの事でした。
まだ若いから大丈夫と点滴を薦められ、19日、20日、21日と3日連続通いました。
日、月がお休みだったので
24日火曜日に行き、27日金曜日に点滴後血液検査の結果を聞きました。
(9月26日の疾風君、もう殆どぐったりの毎日、体重も2.7キロ)
結果は全く改善されていないとの事でした。
先生も唖然としておられました。
わかっていました。
猫の腎臓病は完治することがなく、どんどん悪くなると。
点滴などの治療は延命措置だと。
3日後から自宅での点滴を薦められました。
(これは断るつもりでしたけど)
会計を済ませて帰ろうとすると、疾風君がゲージの中で暴れました。
今まで7年近く怒ることもなかった疾風君がこっちを見て威嚇しました。
もう僕は治療は嫌だ!って叫んでいるように見えました。
上の小窓を開けてなだめようとしている時に
びっくりした受付の子が先生を呼びに行きました。
先生が来て、幻覚症状かも知れません。
家で静かな所に居させて下さいと。
病院を出て20メートルぐらい歩いた時でした。
上の小窓を閉め忘れていたんです。
そこから疾風君は飛び出し、線路の方向に走って行きました。
あの体の状態であんなに走れるものかと・・・・
必死だったんだと思います。
どこに逃げ込むかだけは見ておかないとと思いました。
50メートルぐらい歩道を走った疾風君は右に曲がり線路内(駅)に
入って行きました。
踏切で(5メートルぐらい入るとホームがある)見渡すと
疾風君はホームの下かどこかに逃げ込んだらしく姿はありませんでした。
すぐに病院に戻りそのことを伝え、それから1時間ほど探しました。
名前を呼んでも鳴かない猫なのでどこにいるか特定できず
電車が5分おきぐらいに来るのでどうしようもなく、一旦家に戻りました。
昼から近くの派出所に行き、遺失届を出し、夕方まで駅の周りを探しました。
(数日後、愛護センターにも届け出しました)
線路を渡っているのか手前にいるのかもわからないので困りましたが、
ただ一つ気になる所がありました。
線路の両脇に水路があるんです。
多分その中に逃げ込んだと思いました。
結局、その日は姿を見かけることもできず家に戻りました。
28日、29日、30日と早朝、朝、昼、夜と探し続けましたが
全く手がかりもなく、どんどん日にちが経っていきました。
普通の猫ならともかく、疾風君は殆ど食べることもできないくらい弱っていたので
時間との戦いでした。
もう絶望しかありませんでした。
捜索範囲を広げて行き、気がつくと駅から半径200メートル以上も離れた所も探していました。
他に見かける外猫さんたちにも話しかけていました。
諦めたら可能性はゼロになるので数パーセントでも可能性があるならと・・・
10月に入り、1日、2日も探しましたが駄目でした。
猫は夜行性なので、夜中も探していました。
1番電車が5時半頃に動き出すので、それまでが勝負でした。
ただ、疾風君は最後に外の空気も吸えたし、これでよかったのかなとも思っていました。
3日になるともう疾風君はどこかで亡くなっているかもと頭の中をよぎりましたが
それでも諦めきれませんでした。
7年前にミッケが脱走した時に玄関に貼ったおまじないを思い出しました。
その当時はたまたまミッケが見つかったと思っていましたが
藁にも縋る思いで3日の朝に玄関に貼りました。
たちわかれ
いなばのやまの
みねにおふる
まつとしきかば
いまかえりこむ
これを玄関で唱え探しに出かけていました。
朝も駄目、昼も駄目、夜も駄目・・・
4日の早朝
前から気になる場所がありました。
ここは何十回も通りましたが、線路の横の排水溝が川まで繋がっているのです。
駅のホームから50メートルぐらいでしょうか?
その排水溝から疾風を何度も呼びました。
反応があるわけがなく、一度家に戻り、9時頃からもう一度川のほとりを探しました。
最後にこの場所に戻って来た時、
疾風君が排水溝の出口の上に舌を出したまま座っていたのです。
目を疑いました。
もう痩せ細っているを越えていました。
慌てて疾風君に近づき呼ぶとぼぉーとこっちを見ていました。
チュールを出しもう一度近づくと警戒したのかよろよろになりながら
排水溝に消えて行きました。
まだ生きててくれたんです。
もうそれだけで胸がいっぱいになりましたが、
何とかして捕獲しようと思いましたが無理でした。
いる場所がわかったので昼からも数時間そこで居座りましたが見かけることが出来ませんでした。
(お昼に見つけた疾風君が掘った後、その横にコロンコロンのうんちが一つ落ちていました)
早朝から夜中まで電車が走り続けているその線路のところで8日間も頑張っていた疾風君・・・・
夜、7時半から見張りをしていました。
待っていても疾風君は出てきません。
川を見ていて線路の方に振り向くと、
排水溝の反対側(黒の柵側)から疾風君がなんとか飛び降りて、排水口の方へ飛び上がろうとしていました。
ただ、もう飛び上がる力もなかったのか失敗して下へ落ちました。
この機会を逃したらもう疾風君を捕まえる事ができないと思い近づきました。
何とか逃げようとする疾風君は反対側の黒柵に飛び上がろうとしましたがそれも失敗。
その時に疾風君を抱きしめました。
疾風君は手を噛みました。
歯が弱っていたので歯が折れたみたいです。
ゲージまで連れて行き、疾風君を捕獲したら自然と涙が溢れ出しました。
8日と半日ぶりに疾風君は家に帰って来ました。
もう呼びかけても反応がないのでその夜はお水だけをスポイドで飲ませ静かにしておきました。
9日の朝一番で病院にと思い行きましたが臨時休業でした。
もう疾風君は病院が嫌らしく、ゲージの中で小さな声で鳴いていました。
(2024年10月5日)
翌日、疾風君は何も食べることもできず、じっとしていました。
もう残された時間は少ないとわかっていました。
まだ帰って来たことがわかっていないらしく、
部屋を見せてあげようと抱っこしていつも疾風君が寝ていた所に下ろしました。
急に目を見開いてその辺をきょろきょろ見てベランダにも出て、他の猫たちも見て
ここが家だとわかったみたいでした。
(2024年10月5日)
6日になると安心したのかどうかわからないですけど、衰弱がひどくなりました。
立ってトイレに行くのも難しくなり、目も半開きの状態で体温も下がっていました。
7日の朝、疾風君は立つこともできなくなり、反応も殆どなくなりました。
手を少し、尻尾を少し動かす程度でした。
そして夕方、
疾風君は旅立ちました。
疾風君はどうおもったかはわかりませんが
最後に帰って来てくれたことは感謝以外何もありません。
もし見つかっていなければまだ探していたと思います。
一生後悔したと思います。
8日の朝、火葬場でのお別れの時、箱を開けてもう一度顔を見たら
もう我慢できなくなって二人で号泣しました。
疾風君、短い一生でごめんね。
もう少しみんなと一緒にいたかったね。
うちの子になってくれてありがとう。
そのうちにみんなそっちに行くから、またみんなで過ごそうね。
遊ぼうね。
さようなら疾風君。
ありがとうございました。