朝方暑苦しくて寝ていられないので、カメラを抱えて朝の散歩に出た。5時頃だった。

空に夏の月が残っていた。その月を見ながら街を歩いて行った。町は静に寝静まっており、通りを通る人もいなかった。

 暫く歩くとバイパスに出た。猛烈なスピードで自動車が疾走している。月は反対側の交差点の近くに咲く木槿の花の上に移っていた。朝日が強くなるにしたがって、月は薄くなり、その存在も薄くなっていた。

 

 

 

 一回りして近所の公園にもどってきた。

毎朝開かれる公園のラジオ体操は未だは今って居なかったが、

日は高く上がりすっかり明るくなってきた。公園の向日葵は種の重みで

頭を下げている。

 

 

 

公園の向こうに、逆光の太陽があがり、公園の横の都市農業の

畑のゴーヤのトンネルは朝の光に輝いていた。

 

 

 

住宅街の庭の朝顔は、綺麗に咲いていた。

 

 

横町の道には既に秋の雰囲気が出ていた。

 

 75年前の広島の朝も、静に日常生活のあわただしさの中に在ったのだろう。

誰も原爆投下を予想していなかったのだろう。8万人の広島市民が犠牲に

なるだろうとは考えていなかったのだ。