サチが亡くなって1ヶ月が経ちました
色々忘れないうちに
心のままに書き散らそうと思っていますので
あまり読みやすくはないと思います
後半は亡くなるまでの詳しい描写もありますので
苦手な方はお気を付けください
サチとユキに出会ったのはおそらく高2の秋でした
友達の家の隣から子猫の鳴き声が聞こえてきて
ガレージから出られなくなっているのかと思い
友達と救い出したところ
近所で生まれた猫を貰ってきて
一時的にガレージに入れていたんだそうで
とんだ勘違いでした(笑)
またもらって来るから、救い出した(?)子猫たちを飼わないかと言われ
ちょうど猫を飼いたいと思っていたので譲っていただくことにしました
だから生まれた家などは知らないのですが
5匹うまれたうちの2匹をもらったことは教えてもらいました
まずは名前を考えよう
ノートにたくさん名前の候補を書きました
50は書いたと思います
かなり悩んだ末に「幸」と書いて
「ユキ」と「サチ」とすることにしました
ちなみに母の名前からいただいた漢字なので
母と猫たちは同姓同名です(笑)
振り返るとすこし恥ずかしいですが
まぁ、高校生らしいという事で。
今となっては幸せをたくさんくれる素敵な名前だと思ってます
響きありきで決めたので2匹はオスなのですが
メスだと思われることが多々あります
実家ではたくさんの動物を飼いましたが
過去に猫は3匹飼った事がありました
田舎あるある外飼いで
事故などで早く亡くなった子もいて
ユキとサチは完全室内飼いをしたいという想いがあり
小さな自室で飼うことにしました
猫については沢山勉強しました
狭い分猫に必要な「高さ」が確保できるよう気を付けました
適切な時期に去勢も済ませ、全自動トイレも買ってみたり
試行錯誤しながらできるだけ健やかに育てたいと思っていました
初めて猫がやってきた日
話が少し前後してますが
いよいよ猫がやってきました
離乳も済んでいて少し大きい子猫2匹は
たぶん生後6か月くらいでした
ちゃんと誕生日聞いておけばよかったな
子猫だったからなのか
あまりおびえる様子はなく部屋をウロウロしていました
私の部屋は暖かいのはベッドだけなので
寝るとき猫は私の枕元にやってきました
喉を鳴らすグルグルゴロゴロの音が
ものすごくうるさくて眠れなかったのを良く覚えています
うるさすぎて布団を被ってうなされていました(笑)
慣れてくると子猫たちはやはり元気で元気で元気で!
カーテンはびりびりになり毎日運動会でした
2匹とも犬のように投げた猫じゃらしを運んできてくれます
勉強しながら何度も猫じゃらしを投げ
投げ疲れたら猫じゃらしを引き出しに隠しました
教科書の上に寝ころび勉強の邪魔をされ
どけたら2匹を膝の上にのせ
深夜の受験勉強はラジオと猫が私の支えでした
思春期でしたから
腹が立つことや悲しいことがあったとき
いつも猫がいてくれました
エサも掃除も全部私の責任で世話していたので
この仔たちのためにも頑張らねばと
何度思ったかわかりません
サチが泣いた日の事
これも忘れられない出来事でした
まだまだやんちゃ盛りのころに、棚の上を走り回って
サチが私の大切なものを壊した日がありました
私にしては珍しく激高し
サチを怒鳴りつけ大きい音をだして叱りました
おびえたサチに近づくと瞳の下が濡れている・・・!
猫が涙を流すのかがわからないのですが
明らかに泣いているように感じた私は
弱者をいじめたような気持ちになって
ものすごく反省したのを覚えています
私は社会人になってから一人暮らしを始めました
もちろん猫を連れていくつもりで
ペット可のすこし広めの部屋を借りました
外から帰ってくるとき、窓に猫達が見えるのが好きでした
サチは少し甘え下手で
撫でてほしいと手が届かない距離でゴロンとする
謎な行動をよくしていました(笑)
食いしん坊なので
サザエさんばりにサンマをくわえて奪われたことがあります
スキをつくのがうまい(笑)
この頃主人と知り合いました
人見知りをしない猫達でしたので
動物に苦手意識がある主人もすっかり猫が大好きになって
猫を飼ったことのあるお義母さんの許可も出て
今の家(主人の実家)に
猫とともにお嫁入りしました
私は家具をほとんど処分していたので
知らない匂いがあまりにも多かったのか
引っ越して数日は
タンスの奥からサチはなかなか出てきませんでした
今の家は小さな一軒家で
猫達はのびのびと暮らしていました
人見知りがないので
教室を始めてからはお客様にもよく挨拶に来てくれて
マスコットにゃんことしても頑張っていました
数回だけ
家の外へ逃げたこともありましたが
すぐ帰ってきました
どうも臆病なようで
窓越しに知らない猫に会うと
固まって少しずつ後ずさりをします(笑)
サチは靴下の匂いが大好きで
臭ければ臭いほど
ヨダレまみれで喜んでくれます
嬉しいような嬉しくないような
今の家で約9年ほど穏やかな日々を過ごしました
19才まで生きたサチはずっと病院知らずの猫でした
17才頃くらいに高くジャンプができなくなって診察してもらうと
いわゆる老齢によるヘルニアなんだとか
30センチくらいはジャンプできるので
出窓やベッドなどに15センチほどの階段をつくり
生活に特に不便はなさそうでした
18才のなると便秘が酷くなり
腎臓以外もいろいろ悪くなってきたらしく
食べれなくなってしまい1度入院しました
18才にして初めての病院と入院
これが本当に精神的によくなかったようで
毎日面会にも行きましたが
症状は良くなったものの
明らかに疲れ切って帰ってきました
数か月後また痩せてきてしまい
入院も夜はとくに処置をしていないとの事だったので
サチの負担を軽くするため
朝動物病院に預けて、夜迎えにいくという生活を
2週間ほど続けました
改善はしたものの思っていたより回復はせず
この繰り返しではサチの消耗が激しすぎるのと
先生にも治療はもう私の気が済むまでするだけだろうという話を受けて
次回の悪化以降はもう自然に任せようかなと思うようになりました
去年からユキは何度か入院していて
安楽死も含めて「覚悟していてください」と
先生に言われたことが何度かあって
猫の死と向き合ってきましたが
まさかサチが急に悪くなるとは驚きでした
(ユキはいま補液をしていますが驚くぐらい元気です)
この頃から猫との最期を何度も考えるようになりました
強制給餌と延命処置はしないと決めていたけど
治療と延命の境目は思っていた以上に曖昧でした
倫理観の違いもあって海外と日本では
安楽死の考え方も違います
長く苦しませるくらいなら安楽死もと思っていましたが
私の顔をみて甘えてくるサチを見て
安楽死を選べるほど私は強くはありませんでした
可哀想なくらいボロボロになるまで
エサが食べられなくなるまで
そんな風に言い訳もしながら
向き合う日々でもありました
動物は苦しさをあまり表に出しません
辛そうに見えるならかなり苦しいという事です
そして動物は本能的に生きようとします
私が1日でも長く一緒にいたいと思うだけ
サチの苦しい日が1日ずつ伸びていく
本当にサチの事を考えているなら安楽死させてあげるべきなんだろう
私のエゴに付き合わせてしまっている辛さを
すべて背負っていこうと決めていました
この頃私にはテーマソングがあって
米津玄師のかいじゅうのマーチの歌詞が好きでした
いつまでも絶えることなく 友達でいよう
また目覚めた朝に あなたと同じ夢をみてますよに
いまあなたと出会えて ああ 本当によかったな
胸に残る一番星 うれしいのに かなしいのに
まだ寒い日が続く中
だんだん移動や段差が辛くなっても
亡くなる3日前までサチは私の枕元にやってきて
私の腕まくらで寝てくれました
私はいつも
あと何回
サチを腕まくらしてあげられるんだろう
撫でてあげられるんだろう
膝にのせてあげられるんだろう
サチの匂いをかいで抱きしめて
全部忘れたくないと泣いていました
犬や猫を看取った話は
生徒さんや色んな人が話してくれて
テレビでたらふくホタテを食べて
(おやつにキャットフードなんだとか!)
22才になった猫の話をみて
健康などを考えてカリカリだけで育った猫ですが
カリカリはもちろん栄養食も食べられなくなってきて
最期くらい好きな物をあげようかなと思うようになりました
基本はネコ用のおやつですが
ささみやお刺身など
いろんな物をあげてみました
匂いが強いものは食べたそうな顔をするんですが
いざ前にすると食べられないくらい気持ち悪いのか
匂いをかいで去っていくのが可哀想で
まぐろやかつお味のものが好きらしく
たくさんは食べませんでしたが
少し食べてくれました
ドロドロのモノしか食べられなくなって1週間ほどで
突然サチが後ろ足が動かなくなってしまいました
ずるずると動いて一生懸命トイレに行こうとします
サチはいつもどれだけ苦しくても
トイレにちゃんと行こうとする律儀な猫なんです
たくさんペットシーツをひいて
主人がケージに入れるのは可哀想だと言ってくれたので
普段通りリビングで生活していました
添い寝しにベットに上がれなくなったので
その日は私がリビングで添い寝をしました
私に寄ってくることはしなかったです
ユキとくっついて寝ていたので心配いりませんでした
亡くなる前日
家にいたのでサチを日向ぼっこさせてあげられました
自分で移動したり、少し水をのんだり
お義母さんに撫でてもらったりして過ごしました
私に寄ってきたのでなんだろう思ったら
膝に乗ろうとしてきて抱っこしてほしいんだと気づき泣けました
ここ数日足が効かなくて痛そうだったので控えていたのですが
その日は何回か膝に乗せてあげられてよかったなと思います
亡くなった日
朝はすこし食べて水も飲んで体調がよさそうでした
水だけでネコは1ヶ月生きるというし、ましてや食事もしているので
まったく想像もしていませんでした
最近の猫介護で頭痛が酷く整体に行ったあと
入院している実母のお見舞いに行って
サチが食べれそうなものを買って帰宅したら
サチはもう冷たくなっていました
口と目は少し開いていて
まわりに乱れた様子はなかったので
あまり苦しんでいなければいいなと思いながらも
最期にそばにいてあげられなかったんだなと悲しくなりました
サチは律儀なネコなので
私に心配かけたくなかったのかな
悲しい話ですが
猫の死後についてもある程度調べていたので
箱とドライアイスを用意して
ペット葬儀の会社に電話してもらいました
動かなくなったサチは眠っているみたいで
何度も何度も撫でて
匂いがだんだん薄くなっていくのがツラくて
魂がもうなくとも、身体だけでもいてほしくて
でももう苦しくないんだね
ずっとずっと泣いていました
せっかく整体行ったのにまた泣いて頭痛がしてきました
主人もずっと泣いてくれていました
ユキはサチの側にいこうと
箱に入ろうとして、ドライアイスにびっくりして断念していました
まだわからないんだなと・・・それを見てまた泣きました
市の自治体の火葬は合同葬だったので
民間のペット葬儀をお願いしました
翌日はとても良く晴れた天気でした
私の大切な人はいつも
悲しいくらい青空の日に昇っていくなぁと思いながら見上げていました
家族で花屋へ寄りそれぞれ花を選びました
私はサチのイメージでオレンジの花束にしました
主人は青いバラを選んでいました
葬儀場でお別れの儀式をして
花を添えて、おやつも持たせてあげました
本当につらかったけど
火葬炉に入れるのと炉のスイッチを押すのは
任意だそうなので、押しました
無骨なスイッチはさすがにつらくて
でもできることは全部自分で経験したかったので
嗚咽を漏らしながら押しました
骨になったサチは小さくて軽くなっていました
人と同じように骨の説明を受けて
骨壺に納めていきました
本当はお骨は悲しいからあまり手元に置きたくなかったんですが
葬儀会社の樹木葬の場所が寂しそうな場所だったので
全部持ち帰ってきました
いつかは近所のお寺にペット供養にと思いながら
しばらくは手元に置いておこうと思っています
小さいキーホルダーにしっぽのお骨をいれるサービスがありました
キーホルダーと一緒に一夜城にお花見に行きました
最近は動けなかったサチを外に連れて行ってあげたくて
サクラは東京は満開だったと思います
岐阜はまだ2分咲きくらいで
桜のたびにサチを思い出せたらいいなとぼんやり花見をしていました
遺骨周りには桜をたくさんかざりました
花もしばらくは欠かさないようにしています
身体が無くなってしまえば
ものすごい悲しさは去っていきます
時々サチが居た場所をみたり
ふと思い出すたびに泣いたりはしていますが
サチがもういないのに
普通に毎日が過ぎていくことが
ものすごく悲しいんです
忘れたくないのに少しずつ
忘れてしまうのが
イヤで悲しいんです
ここ数年ずっと死と向き合って覚悟してきたおかげなのか
思った以上に悲しみが続かないのも
なんだか薄情みたいで切なくもなりました
もちろんまだユキがいてくれるおかげでもあると思います
亡くなってから思い出す曲が
BUMPの宝石になった日
応えがなくても 名前を呼ぶよ 空気撫でたよ 君の形に
あの温もりが 何度も聴いた声が 君がいた事が 宝石になった日
本当に宝物のような日々を
沢山の幸せをもらいました
ツラければツライほど
それだけ幸せだったんだと思います
こんなにも素晴らしい存在に出会えました
これだけ書いてもなお書き足りない
表現しきれない思いと感謝がいっぱいです
大好きなサチ
出会ってくれてありがとう
ずっとずっと側にいるよ
いつかまた家族になりたいな
いまはお腹いっぱいたくさん遊んでたっぷりお昼寝して
幸せでいてくれたらと願っています