1998年、韓国のアメリカ大使館に送られた電報である。北朝鮮は国家として崩壊しつつある。アメリカは北朝鮮崩壊に対する脅威について備える事は失敗していると述べている内容であった。

 

 アメリカ大使館ソウルからワシントンDCへ。その他、東京、モスクワ、センヤン、香港、ロンドン、パリ、ボン、台湾、ワシントン合同参謀本部、ホノルル、ソウルUSCINCUNDへ。

 

 秘密の、朝鮮再統一後

 

 タイトル 曇りガラスを通して見る朝鮮についての考察

 

 はじめに

 

1.       これは過去3年間、大使館として北朝鮮監視員を務めてきたチーフ・ラリーロビンソンによる記録である。韓国の太陽政策と北朝鮮が与える脅威を分析したものである。

 

2.       この分析は北朝鮮とアメリカについて論点を当てていることを留意してほしい。

 

 

 北朝鮮の指導者・金正日は弱い指導者である。だがその弱さを自身は十分認識しているようだ。北朝鮮にとって何が不足しているのか不明である。ビジョン、強い政策、全てが不足している。したがって、体系的に考える能力の欠如。1つ1つの問題の処理能力の不足。金正日にはそれらの能力が不足している。既に彼の年齢を考えると、彼自身を変える能力はない。

 

 金正日を支える基盤は大きく数えて3つある。1つは朝鮮労働党、1つは社会主義青年同盟、1つは朝鮮人民軍である。そのうち、正常に動作しているのは後者だけのようだ。

 

 金正日による朝鮮人民軍の支配は完璧ではない。少なくとも彼自身がそう考えていると思える。

 

 北朝鮮政府のその他の機能は停止している。94年以降、一度も会議を開いていない。よって各省は中央政府なしに形式的に機能しているように見える。朝鮮労働党は党指導者の偉業を伝える役目に徹しているようだ。北朝鮮には計画だけではなく、予算もない。複雑怪奇な官僚政治、外交官が主張するような単純な外務省対朝鮮人民軍の構図ではない。

 経済について。経済については事実上機能不全に陥っている。平壌の一人当たりのGNPは239ドル程度に低下している可能性がある。食料不足は深刻で、この深刻さが真の自由主義、資本主義に対する嫌悪感を生じさせた可能性がある。

 

 北朝鮮のエリート高官たちは届く情報が彼らが信じるように言われている情報と本質的に異なるため非常に考慮しなければならない状況に陥っている。彼らは公式にあるイデオロギーへの信頼を失っている者が多く、その数は増え続けている。国家に対する信頼を失うことは、それは秩序から無秩序へ向かうことを意味する。言い換えると、政治的不安定さを増長することになる可能性が高い。

 

 北朝鮮の自国への援助は常に他国に頼っていた。初代主席である金日成は冷戦時代、中国とソ連の関係を利用し、援助を引き出せている。彼はそのような達人だった。金正日は他国から援助を引き出させる能力が乏しい。それは自国の自立を主張することに繋がる。

 

 北朝鮮の崩壊について。その時期を予測することは極めて困難である。北朝鮮の崩壊、戦争を含む再統一、全て可能性がある。だが断言は出来ません。可能性がある1つの中に、クーデターがある。だがその可能性も極めて小さいだろう。

 

 現状、アメリカと北朝鮮と関係を修復する「魔法のようなもの」は存在しない。我々の北朝鮮への関係修復の努力は継続すべきであり、ただ指導者である金正日をより追い込み混乱させないようすべきである。

 

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  北朝鮮である指導者・金正日は最もベールに包まれた指導者である。彼についての情報は脱北者によって多く提供されている。私たちは理解できるのは彼の人生の多くは嘘であるということだ。公式では白頭山は彼の誕生の地とされている。彼の父親は旧日本政府統治時代、独立を目指し戦っていた人物であり、彼は本当はハバロフスク生まれであることも判明している。金正日は幼少時代、決して幸せと言えない環境で育った。愛する母を失い、継母を恨んでいたこも分かっている。2月の報道ではキム・ギョンヒが粛清された。彼が最も親しんだのは妹のキム・ギョンヒだった。

 

 彼の父親である金日成を彼は称賛していたのは事実である。しかし、その称賛は報われたようには見えない。父親は息子を貶したことが多数報告されている。96年12月、金日成大学で彼が行った演説で、金日成が息子に「経済的援助について他国に任せるように」と常に言われていたことが確認されている。金正日の遊び仲間によると、金正日の長男は数年間、自分の家に住んでいたが金日成は一度も訪問しなかった。

 

 金正日は金日成とは全く違った人物である。金日成は前線に立ち指導する立場であった。金正日は人目に付くタイプではなかった。その証拠に、金日成の活躍を知る人は多い。だが、金正日の活躍を知る人はいなかった。彼は雄弁な人物であるという証言は多数あるが、公式の場へ自ら赴くことをしなかったことは、彼は内気で雄弁さは臆病によって書き消された事を物語っている。

 

 金正日はほぼ例外なく昼食と夕食を自宅で済ませていた。彼の働く時間はほぼ夜だけだった。金正日は高官と会うことは滅多になく、交流は主に電話とFAXだった。金正日は北朝鮮の問題をとても把握していた。彼は公式の報告を信頼していなかった。側近を通して非公式のルートを持っていた。国際放送や印刷メディアの翻訳された記事を読み世界情勢を理解していたようである。80年代に彼が誘拐した韓国の映画監督・シン・サンオクとの会話で、金正日は「社会主義では物質的なインセンティブの不足により、経済的にも文化的にもパフォーマンスが低下し、北朝鮮は外の世界に門徒を開くことによってのみ成功する可能性がある」ことを認めている。

 

 金正日の分析力はとても豊かであるが、論理を使うことは滅多にない。それは「より多くの映画監督を韓国から誘拐することによってのみ、北朝鮮の映画作成レベルを向上させる方法である」という言葉からも理解出来る。

 

 金正日が1つの問題を解決するために決断すれば、それは他の問題に影響を与える事を全く考慮していなかった。問題を全体として捉えず、1つ1つの問題として考えていた。それによって1つの問題が解決しても、全体で見ると解決になっていないケースが多発していた。それによってカオスが生じたのである。

 

 金正恩は改革志向向けの知識人に対して、「時が来れば中国式の開放政策を実施する計画があると」金正恩が保証した話は何度もある。しかし、彼の父親である金正日が亡くなった後は、主張を変化させ「俺に何も期待しないで欲しい」と言うようになったことを確認している。

 

 彼の父親が死亡した後、彼は酒を控え、治乱パーティーを控え、重要な決定に関してはリスクを負うことを嫌がるようになった。

 

 我々アメリカは北朝鮮について崩壊のプロローグを知ることは困難です。脅威を認めつつ、北朝鮮について、北朝鮮は「すぐには崩壊しない」という韓国大統領の期待が末端の計画性を失わせることを真似するのではなく、回避するたに協力しながら、韓国が静かに、しかし、集中的に崩壊計画を遂行できるように奨励すべきです。