2024年10月某日、所用で名古屋へ。いつもの 矢場とん さんで夕食をいただきます。

 

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八丁味噌がたっぷりとかかった、「極上リブ鉄板とんかつ」をいただきました。かれこれ30回近くは食べてる気がしますが(苦笑)、これ大好きです。

 

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翌日は「明治村」へ向かうため、早朝にホテルをチェックアウトして名鉄バスセンターへやって来ました。有名なナナちゃんのすぐ横に入口があります。

 

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バスに揺られること約80分、10時5分頃に 博物館明治村 に到着。こちらの門は 第八高等学校正門(1)ということで、さっそく最初の歴史的建造物が出迎えてくれました。

 

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チケットを購入して入村。この明治村は100万平方メートルという広大な敷地が 1丁目から5丁目 というエリアに分かれており、現在 68 の歴史的建造物が移築展示されています。入口に近いところから番号が振ってありましたので、今回は番号順に全ての展示を見学することにしました。(名前の横に番号を記していきます)

 

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まずは 1丁目 から散策をスタート。最初に見えてくるのは 大井牛肉店(2)という、何とも素敵な建物でした。明治20年(1887)から昭和41年(1966)まで神戸にあったものを、こちらに移築してきたそうです。

 

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中では何と、当時の牛鍋をいただくことができるとか。こういうのいいですよね。

 

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その奥に見えてきたのは 三重県尋常師範学校・蔵持小学校(3)。外観からもう見事です。

 

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中ももちろん当時の教室そのままに。明治時代の学校はこんな感じだったんですね~

 

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こちらは 近衛局本部付属舎(4)といい、東京都千代田区にあったのだそうです。

 

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どんどん進んで行きます。こちらは 赤坂離宮正門硝舎(5)といい、当時皇太子だった大正天皇のために建てられた赤坂離宮の警護のために使われていたんですね。

 

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坂を上っていくと、先ほどの学校と牛肉店が見えました。

 

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その坂の上に建つのが、こちらの 聖ヨハネ教会堂(6)。まずは外観に圧倒されます。

 

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中は荘厳な雰囲気。江戸時代には禁止されていたキリスト教も明治には解禁。当時の信者たちはここでお祈りを捧げたことでしょう。

 

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こちらは 学習院長官舎(7)。目白の学習院大学の構内にあったそうで、当時の院長はあの有名な乃木希典だったんですね。

 

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個人的にお気に入りになったのが、こちらの 西郷從道邸(8)。西郷隆盛の弟である西郷從道が接客用に建てた洋館だそうです。

 

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西郷氏は当時、こんな感じで客人をもてなしたことでしょう。

 

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いきなり日本家屋が現れましたが、こちらは 森鷗外・夏目漱石住宅(9)。その名の通り明治の文豪である森鴎外と夏目漱石が、奇しくも相次いで借りた家屋とのこと。

 

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こちらが両名が執筆に取り組んだ部屋。色々と感慨深くなります。

 

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ちなみに漱石が名作『吾輩は猫である』を書いたのがこの家に住んでいる時で、文中にはこの家の描写が何度も登場するとのことでした。

 

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ここからしばし坂を下ったところにあるのが、東京盲学校車寄(10)。当時はこの屋根の下で車を待っていたんですね。

 

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ここからしばし険しい道を歩き、開けた先にあるのがこちらの 二重橋飾電燈(11)。明治21年(1888)から昭和38年(1963)まで皇居・二重橋に飾られていたんですね。

 

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こちらは 鉄道局新橋工場(12)になりますが…

 

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中には 明治天皇・昭憲皇太后御料車 が展示されていました。

 

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その前には何とも豪華な建物が見えます。こちらは 三重県庁舎(13)で、明治12年(1879)から昭和39年(1964)まで実際に業務に使われていました。

 

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玄関も恐らくは当時のまま。中へ入ってみたいと思います。

 

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こちらが知事室。何となくですが、札幌にある「北海道庁旧本庁舎」を思い出しました(こちら

 

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2階からの建物の眺め。ベランダみたいな通路になっているのがいいですよね~

 

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これで1丁目の見学は終了。ここから 2丁目 に入りますが、最初に姿を現したのは 千早赤阪小学校講堂(14)でした。

 

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その隣には 第四高等学校物理化学教室(15)。現在の金沢大学の物理化学実験教場だったそうです。

 

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教室の中へ入ってみました。明治時代の学生たちが、ここから授業を受けていたんですね。

 

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通りの突き当りに見える立派な建物は、東山梨郡役所(16)。明治の前半は大工さんも洋風建築をほとんど見たことがなく、見よう見まねで造られたとか。そのため日本風のデザインが混ざった洋館がよく建てられたそうです。

 

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こちらは 清水医院(17)という病院。昭和47年(1972)まで長野県の田舎に建てられていたそうです。

 

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当時の診察室の様子。畳の部屋だったんですね。

 

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先ほどの「東山梨郡役所」を起点としたこの通りは「レンガ通り」と呼ばれ、とても風情のある通りでした。

 

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かつて名古屋にあった 東松家住宅(18)という町屋。江戸時代から続く伝統工法で建てられているそうです。

 

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隣は 京都中井酒造(19)。中はお茶屋さんになっているみたいなので入ってみました。

 

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抹茶のソフトクリームを購入。スタートから1時間が経過しており、ちょうどいい感じの休憩になりました。

 

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再び見学を続けます。こちらは 安田銀行会津支店(20)という重厚な建物です。

 

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当時の銀行の窓口の様子。もちろんATM等はない時代なので、お金を預けるのも引き出すのも窓口で行っていたことでしょうね。

 

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何とも特徴的なこちらは 札幌電話交換局(21)。高価な機材を火災などから守るために、地元産の石材を用いて造られたそうです。

 

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こちらは 京都七条巡査派出所(23)。お巡りさんに声を掛けて撮らせていただきました。余談ですが、22番は地図に載っておらず。

 

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派出所の横には公衆電話ボックスがありました。

 

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ここから 3丁目 に入ります。「京都市電のりば」と書かれた屋根と、その横にはレールが見えます。

 

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しばらく待っていると警笛を鳴らしながら、何ともレトロな列車がやって来ました。こちらはかつての 京都市電(24)で、実際に乗ることができます。

 

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すぐその横をこれまたレトロなバスが走ります。こちらは園内を循環しているバスで、敷地が広いため移動するのに便利です。

 

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この時点で11時30分頃。68の建造物のうち、ここまでやっと24を消化したところでした。博物館明治村の散策は、このあとまだまだ続きます☆

 

【博物館明治村散策記②】に続きます。

 

 

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