そしてまた規模の大きい少年部会合で語られる、池田大作さんに関する逸話の紹介
――魚などがいるはずもない工事現場の水溜りに、池田先生が釣り糸を垂らすと魚が釣れた、このように不思議な力がある偉大な先生等。
このときは子供だからって馬鹿にしているなあと内心思っておりました。
池田大作さんの本仏化を意図的に進めていたと思われる昭和時代のことです。
長ずるに従い、身近な学会員の多くが「池田先生のために」と学会活動、選挙活動をしている姿にますます違和感を覚えるようになっていきました。
あくまでも自分は
「成仏させていただくために信心しているのだ」
という気持ちが根底にあったからです。
あるとき、毎月お寺では、御僧侶が信徒に直接御書の講義をされている、ということを耳にした私は、どうすればそれに参加できるのかと学会の先輩に尋ねました。
すると
「お寺にいるのは休(旧)信徒だから行かないほうがいいよ。折伏もしない人たちだから」
という返事。
なぜ、同じ信仰をしていながら法華講を蔑むのか理解に苦しみました。
創価学会は日蓮正宗の信徒団体のはずなのに日蓮正宗の寺院に行くと堕落するような口ぶりなのです。