私は祖父母・両親が創価学会員という家にいわゆる「学会3世」として生まれました。
特に父は地元組織で本部長という役職に着き、熱心に学会活動をしておりました。
父のアルバムを開くと、池田大作さんを囲むようにして写る、若き日の父たち創価学会男子部の姿が何枚もありました。
お父さん子だった私は、小さい頃から父について学会主催の運動会、海外メンバーとの交流会、未来部の各種行事等に参加していました。
生まれつき創価学会員だったので、それが普通の環境だと思っていたのですが、子供心に違和感を覚えることは多々ありました。
大きな会合に参加すると、池田大作さんからの差し入れと称して果物やパン、飲み物などが振舞われます。
それらを持ち帰ると、近所の学会員さんがやってきて「池田先生からいただいたものを見せて」というので見せると、心から羨むように「仏様から食べ物をいただいたから夕空ちゃんは一生食べるのに困らないね」というのです。
驚きました。
また、所属していた富士鼓笛隊での練習の折には隊長が
「目線はどこですか?」
と号令をかけると隊員が一斉に
「池田先生です!」
と一糸乱れぬ声で応えるように訓練されます。
そんなとき私はいつも「池田先生が見えないし・・・」などと口ごもり注意を受けていました。