城メグvol.161(最終回)/織田信長 | しろくろジョーカー公式ブログ

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こんにちは。城メグリストこと萩原さちこです。

レキシくんからのエントリーでお知らせがあったように、残念ながらしろくろJOKER公式ブログは今回で最終回となりました。

なんと、2014年9月1日から数えて161回!
これほど長く続けさせていただいて、感謝のみです。
ありがとうございます!

 


3周年を迎えた「しろくろJOKER」は、変わらずたくさんの方に愛されているようです。
ブログは終わってもアプリは終わりませんので、ご安心を。
引き続き、お楽しみくださいね。

 

 

 

 

さて、最後のエントリーは織田信長です。

やっぱりですね、信長なくして日本の歴史は語れませんが、信長なくして日本の城も語れません。

 

 

 

 

 

 

信長が1576(天正4)年に築いた安土城は、日本ではじめての天主が建ち、城全体を高い石垣で囲んだ、日本初の総石垣の城。

 

寺院建築でしか採用されていなかった瓦葺きの礎石建物を建て、天主の頂には黄金に輝く鯱が飾られました。

 

 

安土城から、城は私たちが現在一般的にイメージする城に変わります。
つまり安土城は、現代における日本の城のルーツなのです。

 

近年は信長が1563(永禄6)年から居城とした小牧山城、1567(永禄10)年から居城とした岐阜城からも新発見があり、新しい城づくりが安土城より早い段階からはじまっていたことが判明しつつありますが、いずれにしても信長が城を刷新したのは間違いありません。

 

 

既成概念にとらわれない独自の思想と抜群の行動力で新しい日本を切り開いた信長らしく、開発した城も奇想天外で空前絶後でした。

 

もっとも革新的なのが、なんといっても天主の誕生です。
安土城の天主は五重六階地下一階という木造高層建造物で、不等辺七角形の天守台の上に立ち、1〜4階までは吹き抜けだったと推定されています。
五重目に八角形の望楼が乗り、さらにその上に四角の段という四角形の望楼が乗るという、近未来的な構造だったよう。
壁や柱に塗られたのは、金や群青や朱などの極彩色で、日本初の城専用瓦と金箔瓦が葺かれ、金の鯱が乗り、超高級な黒漆で仕上げられたまばゆい限りの姿だったと考えられています。

 

 

信長は究極の合理主義者で、緻密で組織的な思考の持ち主だったようです。
兵農分離を推し進めて職業兵士集団をつくり、軍事力と機動力を飛躍的に上げただけでなく、鉄砲を導入して合戦の仕方を変え、城の概念や商業のシステムまで刷新しました。
経済の活性化と同時に、中央集権体制も確立。
城を通して信長をみていくと、城を上手に利用しながら新しい日本の常識をつくっていったことがわかります。

 

 

誰も考えつかないことを思いつくだけではなく、具体的に筋道を立てて構想することができ、しかもそれを実現できる能力があった人だったのですね。

 

 

 

というわけで、最後にふさわしいエントリー…になったかどうかはわかりませんが、3年間お付き合いいただきありがとうございました!

 

 

毎週のことだったので少しさみしいですが…
またどこかでお会いしましょう!

 

 

 

 

 

 

萩原さちこ(城メグリスト)



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