こんにちは!
れきしクンこと、長谷川ヨシテルでございます。
今回は、尼子家の最後の希望、
「尼子勝久(あまご・かつひさ)」さんをご紹介いたします!
今月の6月4日に、
国宝・松江城のトークイベントに出演してから、、、
出雲熱が引かないので、
今回も島根にまつわる武将をピックアップという次第です!
尼子家は、織田信長が世に出始めた頃に、
山陰をはじめ、中国地方の多くを支配下にしていた戦国大名で、
島根県安来(やすぎ)市の、
「月山富田(がっさんとだ)城」を本拠地としておりました。
尼子家の中でも有名なのは、
尼子家を大大名にした“謀神”こと「尼子経久」、、、
毛利元就と一進一退の激戦を繰り広げた「尼子晴久(経久の孫)」などがいます。
尼子家は「○久」ばかりで混乱するのですが、
今回、取り上げている尼子勝久は、
経久のひ孫(次男の孫)にあたる人です。
※経久―政久(長男)―晴久
―国久(次男)―誠久―勝久
実は勝久は、
生まれて1年足らずで出雲を離れ京都に逃げています。
なぜかと言いますと、
尼子家は晴久の時に内紛を起こして、
当主となった晴久によって、
祖父の国久と、父の誠久が粛清されてしまい、
勝久も命を狙われるところだったためです。
家臣によって京都に落ち延びた勝久は、
伏見稲荷にほど近い東福寺で出家をして、僧侶となりました。
そのまま、僧侶として生涯を終える予定だった勝久ですが、
1568年に運命が一変します!
月山富田城が宿敵の毛利家に落とされ、
当主の尼子義久(晴久の子)が毛利家に幽閉されたことで、
2年前に尼子家は滅亡してしまっていたのです。
「何とか、尼子家を復活したい!」
そのためには、尼子家の血を引く者が必要でした。
こうして、尼子家の家老の山中鹿介などによって、、、
尼子家の最後の希望として、
勝久は戦乱に身を置くことになったのです!
鹿介らと共に尼子家復興運動を始めた勝久は、
1569年に、隠岐から出雲へ上陸し、
真山(しんやま)城に入城して、
出雲を席巻していきます。
(真山城・本丸には尼子勝久公之碑!)
しかし、この1度目の復興活動も、
2度目の復興活動も、
毛利家の大軍を前にあえなく挫折してしまいました。
その後、再び京都に向かった勝久らは、
織田信長に面会して、援助を依頼しました。
そして、中国攻めの総大将の羽柴秀吉の配下として、
3度目の復興活動に移ります。
入城したのは、
宿敵・毛利家との最前線、
兵庫県の上月(こうづき)城でした。
しかし、三木城の別所長治が、
織田家を離反したため、秀吉軍は撤退し、
勝久は上月城に孤立してしまいました。
そして、奮戦空しく毛利家に降伏。
上月城の開城に伴って、
勝久は息子や弟たちと共に自害をして果てました。
享年26でした。
戦乱の世に翻弄されて散った若き武将・尼子勝久。
ゲーム内の合戦スキルが、
「復興のために!!」で、
毛利家武将に大ダメージを与える仕様が、
何ともアツいです。
よってくだんのごとし。
■アプリのダウンロードはこちら!