れきしクン・その百四十七【尼子勝久】 | しろくろジョーカー公式ブログ

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こんにちは!

 

 

れきしクンこと、長谷川ヨシテルでございます。

 

 

今回は、尼子家の最後の希望、

 

「尼子勝久(あまご・かつひさ)」さんをご紹介いたします!

 

 

今月の6月4日に、

 

国宝・松江城のトークイベントに出演してから、、、

 

 

出雲熱が引かないので、

 

今回も島根にまつわる武将をピックアップという次第です!

 

 

尼子家は、織田信長が世に出始めた頃に、

 

山陰をはじめ、中国地方の多くを支配下にしていた戦国大名で、

 

島根県安来(やすぎ)市の、

 

「月山富田(がっさんとだ)城」を本拠地としておりました。

 

 

尼子家の中でも有名なのは、

 

尼子家を大大名にした“謀神”こと「尼子経久」、、、

 

 

毛利元就と一進一退の激戦を繰り広げた「尼子晴久(経久の孫)」などがいます。

 

 

尼子家は「○久」ばかりで混乱するのですが、

 

今回、取り上げている尼子勝久は、

 

経久のひ孫(次男の孫)にあたる人です。

 

 

経久―政久(長男)―晴久

     ―国久(次男)―誠久―勝久

 

 

実は勝久は、

 

生まれて1年足らずで出雲を離れ京都に逃げています。

 

 

なぜかと言いますと、

 

尼子家は晴久の時に内紛を起こして、

 

当主となった晴久によって、

 

祖父の国久と、父の誠久が粛清されてしまい、

 

勝久も命を狙われるところだったためです。

 

 

家臣によって京都に落ち延びた勝久は、

 

伏見稲荷にほど近い東福寺で出家をして、僧侶となりました。

 

 

そのまま、僧侶として生涯を終える予定だった勝久ですが、

 

1568年に運命が一変します!

 

 

月山富田城が宿敵の毛利家に落とされ、

 

当主の尼子義久(晴久の子)が毛利家に幽閉されたことで、

 

2年前に尼子家は滅亡してしまっていたのです。

 

 

「何とか、尼子家を復活したい!」

 

 

そのためには、尼子家の血を引く者が必要でした。

 

 

こうして、尼子家の家老の山中鹿介などによって、、、

 

 

尼子家の最後の希望として、

 

勝久は戦乱に身を置くことになったのです!

 

 

鹿介らと共に尼子家復興運動を始めた勝久は、

 

1569年に、隠岐から出雲へ上陸し、

 

真山(しんやま)城に入城して、

 

出雲を席巻していきます。

 

(真山城・本丸には尼子勝久公之碑!)

 

 

しかし、この1度目の復興活動も、

 

2度目の復興活動も、

 

毛利家の大軍を前にあえなく挫折してしまいました。

 

 

その後、再び京都に向かった勝久らは、

 

織田信長に面会して、援助を依頼しました。

 

 

そして、中国攻めの総大将の羽柴秀吉の配下として、

 

3度目の復興活動に移ります。

 

 

入城したのは、

 

宿敵・毛利家との最前線、

 

兵庫県の上月(こうづき)城でした。

 

 

しかし、三木城の別所長治が、

 

織田家を離反したため、秀吉軍は撤退し、

 

勝久は上月城に孤立してしまいました。

 

 

そして、奮戦空しく毛利家に降伏。

 

 

上月城の開城に伴って、

 

勝久は息子や弟たちと共に自害をして果てました。

 

 

享年26でした。

 

 

戦乱の世に翻弄されて散った若き武将・尼子勝久。

 

 

ゲーム内の合戦スキルが、

 

「復興のために!!」で、

 

毛利家武将に大ダメージを与える仕様が、

 

何ともアツいです。

 

 

 

よってくだんのごとし。

 

 

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