こんにちは。城メグリストこと萩原さちこです。
先週の金沢城に引き続き、今週はその金沢城をつくった前田利家の登場です。
前田利家といえば、織田信長に仕え、能登一国を治め、豊臣秀吉に仕え、その後は90万石の大名にまで出世した人物です。
最終的には徳川家康と張り合うほどの人物になりました。
13歳のとき、家督を相続したばかりの信長に仕え、信長の躍進とともに活躍。
槍の名手で「槍の又左」として怖れられました。
6メートル30センチもの派手な槍をぶんぶん振り回していたそうで。
なんせ、当時の平均身長160センチに対し、利家は180センチ以上もあったらしいです。
一度は信長の怒りを買い追放されるも、桶狭間の戦いに勝手に参戦。
さらに美濃攻めにも勝手に参戦し、ようやく信長に許されて織田家臣に復帰します。
若い時は傲慢なところがあったようですが、この時期を経てとても律儀で細やかな人になったといわれています。
さて、信長の命により兄に変わって家督を継いだ利家は、大活躍。
信長と浅井・朝倉両氏の抗争が激化すると、利家はたびたび奮戦して武功をあげていきました。
そしてそして、柴田勝家の指揮下に入り、越前の一向一揆と対峙していくことになるわけです。
そうこうしているうちに、今度は信長と上杉謙信の関係が悪化。
謙信が没すると上杉家の内乱に乗じて柴田勝家が北加賀や能登を占領し、結果、利家は能登1国を領有する身分となったのでありました。
さてさて、ここまで登り詰めた利家だったのに、あの大事件が襲いかかります。
そう、本能寺の変です。
勝家とともに越中攻めをしていた利家は、山崎の合戦にも参加できず。
清洲会議が決定打となって秀吉と勝家は対立を深め、賤ヶ岳で激突することになるのでした。
さて、利家といえば、賤ヶ岳の戦いでのキーマンのひとりになります。
深入りしすぎたところを大垣から猛スピードで戻った秀吉軍に攻められ、優勢だった佐々成政軍は壊滅。
ここで、堂木山砦や神明山砦の尾根筋を押さえていた利家が突然に
兵を撤退させたことが決定打となり、成政軍は敗走して
利家は、もともと秀吉と個人的には仲がよかったようで。
秀吉と勝家、どちらにつくかは苦汁の決断だったのでしょう。
勝家は利家の無断撤退を咎めることなく、度量の大きさを見せつけて静かに利家のもとを立ち去ったといわれています…。
さて、ちょうど先日、賤ヶ岳の堂木山砦から神明山砦、そして利家が押さえた茂山砦を縦走してきました。
なるほど、すごい位置を押さえていたのだなあ、と思いつつ。。
この尾根筋は秀吉軍にとっては第一の防衛線だったわけで、それを押さえ込んだ利家はなかなかの立場だったのだなあなどと思いました。
そして、そのストッパーを味方の危機的状況下で解除してしまう判断よ、、、。
なかなか臨場感のある城歩きでした。
秀吉に従った後は穏やかな時代が訪れ、成政の旧領の一部も加増されて能登から金沢へと移ります。
そして、金沢城を築城することになったのでありました。
なかなかに波乱万丈の人生ですね。
では、今週はこのへんで。
来週もよろしろ~。
萩原さちこ(城メグリスト)
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