明けましておめでとうございます。城メグリストこと萩原さちこです。
今年最初のエントリーは、宮城県白石市にある白石城ですー。
到着したらGPS。
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白石城がゲットできます!
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白石城は、仙台藩の支城。
伊達政宗の腹心・片倉小十郎景綱が城主を務めたことで知られます。
1615(元和元)年に一国一城令が江戸幕府から公布されると、全国の諸大名は居城以外の城は破却するよう命じられます。
ところが仙台藩は例外で、仙台城を居城に支城の白石城も存続を許されたほか、要害・所・在所などが残されて要害制という支配体制を維持します。
代々片倉家が城主を務め、仙台藩南端の押さえの城として機能。
明治維新まで片倉家が居城としました。
明治維新期の戊辰戦争では、奧羽越列藩同盟が結ばれた城でもあります。
仙台城ではなく白石城でこうした重要な会議が行われるところは興味深いところ。
白石城の重要性と政治的な位置はとてもおもしろいものがあります。
白石盆地を分断する白石川の南岸に接する独立丘陵の北端に築かれています。
白石城のシンボルは、この三階櫓。
天守に相当する立派な櫓です。
支城であるため、幕府や藩に配慮して天守とは呼ばず「大櫓」と称しました。
1874(明治7)年に取り壊されましたが、1823(文政6)年に再建された姿をモデルに、1995(平成7)年に木造で復元されています。
戦後の木造復元天守としては日本最大級です。
本丸には仙台藩主が宿泊する御成御殿、政庁となる表御殿、片倉氏の私邸・奥向御殿がありました。
内堀や石垣がわずかですが残存しています。
沢端川は、かつての白石城三の丸外堀。
たどっていくと片倉家中武家屋敷に着きます。
白石城東口門(正式名称は二ノ丸大手二ノ門)が、当信寺に移築されています。
ここは、大手口から城内に入り、外曲輪、三ノ丸内の折れ曲がった通路を経て本丸へ至る関門にあたる場所です。
白石城東側の防衛拠点としての役割を担っていたと思われます。
眼象窓と呼ばれる窓が印象的。
2階に置かれた太鼓の音をよく響かせる工夫だそうです。
当信寺は、実は昨年第ブームだった真田信繁(幸村)ゆかりの地。
信繁の娘で後に白石城主・片倉2代重長の後妻となる阿梅の墓があるのです。
(あ、これは2代目片倉小十郎です)
大坂の陣で信繁が没した後、信繁の遺児たち(阿梅・阿菖蒲・おかね・大八の4児)と穴山小助の娘は白石へ送られ密かに養育されたのでした。
阿梅の墓の隣には、片倉四郎兵衛守信と名乗り伊達家に召し抱えられた大八の墓が並んでいます。
城下町にオン。
依頼「大櫓をいだく堅城」も解決しました!
では、今週はこのへんで。
来週もよろしろ〜。
萩原さちこ(城メグリスト)
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