れきしクン・その九十三【真田幸村】 | しろくろジョーカー公式ブログ

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おもしろいですね~、真田丸。


歴史モノというのは大体、

勧善懲悪なものになりがちで、

主人公を立てるために、誰かを超絶な悪役に描こうとします。


それはそれで面白いんですが、

やはりそれは、何かハッピーさに欠けてきます。


人と言うのは誰でも欠陥している部分があるので、

いくら悪役でもその欠点を吊し上げるのは可哀想です。


しかし、今年の大河ドラマは、それがない!


敵役はいますが、悪役ではないのです!


お笑いなどと通ずるところがあるのですが、


欠点こそ愛すべき個性、の世界観がステキですね。


さて、その主人公と言えば、

皆さんご存知、「真田幸村」です!



アプリ内の幸村もカッコイイ!


歴史モノを観てると、

やはりそのゆかりの地に足を運びたくなるものです。


ということで、

今回は「真田幸村のゆかりの地」の代表的な場所を、

ざっくりと年表順にご紹介いたします!


まずは生誕地!


これははっきり「ここだ」とはわかっていないのですが、

おそらく「躑躅ヶ崎(つつじがさき)館」の城下ではないかと思います!



ここは山梨県甲府市にあった武田信玄の本拠地です。


幸村の父の真田昌幸は、

青年期に信玄の近習として仕えていたので、

この館の城下の真田屋敷で誕生したのではないかと考えられます。



屋敷の跡地は現在アパートに。


館から徒歩3分ほどでたどり着きます~。


※自撮り画像が多数出現します。
 ご気分の優れない方はご注意ください。


続いてご紹介するのはコチラ!




長野県の「上田城」です!


上田でGPS登録すると、

アプリ内で駅前の真田幸村像が手に入りますね。



実のところ、

上田城で主に活躍したのは、父の昌幸でした。


2度に渡る徳川家との戦にどちらも勝利した、

不落のお城として有名で、

本丸跡にある真田神社は「落ちない」ということで、

受験生に人気のようですね。


ところで、

「第一次上田合戦」の時、

幸村は真田家にはいなかったと言われております。


どこにいたかというと、

人質として越後(新潟)の上杉家の下にいたと言います。



「春日山城」の上杉景勝(謙信の養子)に出仕して、

長野県長野市の「海津城(松代城)」を預かったそうです。



そして、その後はいよいよ、

これまた人質として、豊臣秀吉のいる大坂へ向かいます!



人質とは言え、秀吉の近習である馬廻衆として仕え、

天下統一の総仕上げの「小田原攻め」に参陣し、



埼玉県行田市の「忍城」の水攻めに同行したと言われています。



そして、その後、

従五位下・左衛門佐(さえもんのすけ)という位と、

「豊臣」姓をもらっている好待遇を受けています。


しかし、秀吉の死後に起きた「関ヶ原の戦い」に際して、

父と共に西軍につき、徳川秀忠(家康の息子)の軍勢を苦しめたことから、

高野山へ蟄居謹慎の身となってしまいます。



現在は「真田庵」と呼ばれる尼寺となっています。


父の昌幸は、1611年にここで亡くなったと言われていて、

境内にはお墓が建てられております。



幸村は監視下に置かれたものの比較的自由だったようですが、

お金はなく、極度の貧乏生活を送ったそうです。


そこで舞い込んできた話が「大坂の陣」!


幸村は大坂城へ入城して徳川軍と干戈を交えることとなりました。


「冬の陣」では、大坂城の弱点である南方に、

出城である「真田丸」を築き、徳川軍を撃退しました。



真田丸の跡地は諸説あるのですが、

三光神社に幸村の銅像が立っていたり、

心眼寺に石碑が立っていたりします。



そして、「冬の陣」では、

四天王寺の西にある「茶臼山」に陣を張り、

徳川家康の本陣への突撃を3度繰り返しました!



本陣を蹴散らし、家康を切腹寸前まで追いつめたと言いますが、

衆寡敵せず、安居神社で休息中に、

越前松平家の西尾仁左衛門に討ち取られてしまいました。



しかし、その活躍ぶりは、

当時から大評判だったようで、

「大坂の陣」に参陣していない薩摩の島津忠恒が、

「真田、日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)、古(いにしえ)よりの物語にも これなき由」

と記しています。


さて、これで終わりではありません!


最後は、山梨・長野・和歌山・大阪などからほど遠い、

宮城県に舞台を移したいと思います!


幸村は討ち死にして、

長男の大助も、大坂城で亡くなりました。


しかし、幸村の血は絶えておりません!


幸村の次男の「大八」と三女の「阿梅(おうめ)」は、

仙台藩の伊達家の家老である片倉重長に預けられ、

「白石城」で養育されているのです!



その後、大八は「片倉守信」と名乗って仙台藩士となり、

阿梅は何と重長の妻に迎えられました。


そして、仙台藩士として幕末を迎え、

現在の第14代御当主の真田徹さんへと繋がっております!



皆さんも、

しろくろジョーカーを旅のお供に、

真田幸村ゆかりの地へ訪れてみてくださいませ~。



よってくだんのごとし。
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