城メグvol.68/三保の松原 | しろくろジョーカー公式ブログ

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こんにちは。
1か月ほど前になりますが、三保の松原に行ってきましたよー。




まずはじめに!
三保の松原は、訪れただけではゲットできません。
特産品「修善寺彫」「茶」「バラ」を手に入れなければならぬのです。






松を2つ建てて依頼「松と富士」を解決すると、三保の松原が手に入ります。



…ん?修善寺って三保の松原からけっこう遠いですよね。。
そう、ここで修善寺彫はちょっと入手困難。






ここでこっそりヒント。
修善寺彫は「伊豆半島西部」で手に入れることができまーす!
三保の松原へ訪れるときは、せっかくなので静岡旅行を楽しむつもりで時間をたっぷりとりましょう。








三保の松原へは、清水駅で下車後、バスで向かいます。
清水駅から徒歩5分の江尻港から水上バスでも行けるとか。
バスを乗り継がなければならないので、今回は時間の都合上断念。
乗ってみたかったなー。






バスの乗車時間は20~30分ほど。
「三保松原入口」バス停で下車すれば、徒歩すぐです。
案内があるので道には迷いませんよ。






マンホールも、三保の松原!




三保の松原は、平成25年に登録された富士山世界文化遺産を構成するひとつ。
25の資産・要素のうち、富士山域とその周辺でないのは三保松原だけです。
平安時代から富士山とともに数々の絵画や和歌で表現されてきた芸術の源泉・信仰の対象ですから、富士山を構成する資産として切り離せないものと評価されたそうです。


室町時代に描かれたとされる富士山本宮浅間大社所蔵の「絹本著色富士曼荼羅図」、有名ですよね。
霊峰・富士への信仰や参詣のようすが描かれた絵図ですけれども、三保松原もしっかり描かれています。
つまり、三保松原は富士山信仰の一部としてとらえられていたのですね。


歌川広重が江戸時代に描いた「冨士三十六景 駿河三保之松原」もよく知られるところですよね。
江戸時代には、三保松原を手前に配した構図が富士山を描く日本画の典型となっていたほどなのです。


江戸時代中期以降には「富士講」という富士参詣を目的とする組織もできるほど、富士山は崇拝される存在になります。
「絹本著色富士曼荼羅図」は室町時代の作といわれますから、それ以前にも特別な山だったのですね。


さらにぐーんと時代を遡り、奈良時代には天女が舞い降りたという「羽衣伝説」が語られています。
奈良時代末期~平安時代前期に成立した日本最古の歌集『万葉集』にも、三保松原を詠んだ和歌があり、三保の松原は「白砂青松」と富士山の眺望で全国にその名が知られていました。






三保の松原というと、この光景。(HPより)
しかし範囲はとても広く、砂浜と松林の全体を含んだ64.4ヘクタール(!)にも及びます。






羽衣の松を御神木とする「御穂神社」が見えてきます。





この松並木「神の道」も、三保の松原の範囲に含まれています。
浜辺にある羽衣の松に来臨した神は、約500mの神の道を経て御穂神社に迎えられるのです。
樹齢200~400年といわれる老松、味があってステキです。






学べるブースもあって、楽しい。







おっと、三角コーンも富士山だ。






いよいよ見えてきました!






富士山が雪をかぶり、空気が澄み渡る冬のほうがいいかもですね。
HPの写真に比べると、ぼんやりして写真はイマイチかもしれません。
でもでも、とっても美しい!






写真や言葉では表現できない開放感!






そういえば、久しぶりに砂浜を歩きました。
砂が靴に入るけれど、気持ちよいー。






これが、浜辺にある天女と地元の漁師との交流を描いた羽衣伝説で有名な「羽衣の松」。
羽衣伝説で天女が衣を掛けたと伝わります。
本来は、海の彼方から来臨する常世神の目印だそうです。






静岡といえばコレ、安倍川餅。
おみやげに買って帰りました。






だいぶ傷んだ松もありました。
地元の方による保全・植林活動はなかなかに大変なようです。
いつまでも美しい姿が継続されていくといいですね。







三保の松原の雄大さがまったく伝わらない感じに、、、(笑)






では、今週はこのへんで。
来週もよろしろ~。


萩原さちこ(城メグリスト)



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