今回は今治城へ行ってきましたー。
つい1~2か月ほど前、今治城の水堀で鮫が発見されニュースになったのを覚えていますか?
では、今週はこのへんで。
今治駅では、バリィさんがお出迎え。かわいい。
※なぜかタテ写真が直せず…ごめんよ、バリィさん。
まずはメインの今治城からご紹介しましょう。
つい1~2か月ほど前、今治城の水堀で鮫が発見されニュースになったのを覚えていますか?
お堀に鮫なんて!…と思うかもしれませんが、それもそのはず、今治城は瀬戸内海のすぐそばにあり、海水を水堀に取り込んでいるんです。
海水を引き込んでいる城は珍しいこと。
というのも、城というのは海に近いところにはつくらないからです。
海に開かれた城は、大船に乗ってくる敵に攻めてくれと言っているようなもので、それまでの常識では考えられないことだったのです。
しかし今治城は、その弱点を逆手に取って、むしろ海を取り込んで活用してしまったわけです。
瀬戸内海から直接、城へ入れる船着き場をつくり、海水を引き込んでどーんと広大な堀を構築。
しかも時代は大転換期にあたり、戦国の世が終わりを告げ、戦うための強い城よりも、いかに領国の流通・経済・商業を発展させ、領国の中心地としてふさわしい城づくりが求められていました。
正保年間の絵図を見ると、三重にも堀がめぐらされていて、海と一体化しているようです。
今でも、こんな光景がいたるところに。

今治港は阪神と九州を結ぶ海上交通の重要な要衝となり、明治に入って商工業が栄えると繁栄しました。
この今治城をつくったのが、築城名人といわれる藤堂高虎!
※なぜかタテ写真が直せず…ごめんよ、高虎さん。
※なぜかタテ写真が直せず…ごめんよ、高虎さん。
高虎が発明した新発想の城は徳川家康に認められ、徳川幕府の城に採用されます。
徳川幕府が手がけた城のほとんどに高虎が携わっていて、そういう意味では徳川の城=高虎の城、といえるでしょう。
高虎の新発明は…
高虎の新発明は…
水堀から直接立ち上がる高石垣!
※今治城は地盤が弱いので犬走りという小道のようなスペースを設けています。
結論だけ簡単にいうと…
信長や秀吉のつくった城は、城内での徹底抗戦した臨戦態勢の城。
来週もよろしろ~。
萩原さちこ(城メグリスト)
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